世界的な名声を獲得したパリではなく…生誕140周年で「ニューヨークの藤田嗣治」を一部“再現” 人気作品「猫の教室」の“秘密”とは

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フランク・シャーマンに宛てた絵手紙の魅力

 ところで――今回の《ニューヨークの藤田嗣治》展におけるユニークな出展作に、《フランク・シャーマン宛 絵手紙》がある。シャーマンは、戦後のフジタを語るうえで欠かせない重要人物だ。

 フランク・エドワード・シャーマン(1917~1991)は、戦後、GHQ(占領軍)の民政官として来日、情報教育局に所属し、印刷・出版を担当した。彼は、美術学校に学んだ経験のある、美術収集家でもあった。しかも戦前から、パリで活躍するフジタのことを雑誌で知り、強烈な興味を抱いていた。パリに短期留学した際に、モンパルナスで本人を見かけたこともあった。

 シャーマンの仕事は、アメリカから送られてくる雑誌や新聞の内容をチェックし、それらを日本にいる占領軍向けに再編集して印刷することだった。そのため、凸版印刷板橋工場に常駐していた。あるとき、彼がフジタ・ファンであることを知った日本人の同僚が、「藤田嗣治なら、おなじ板橋区の小竹町(現練馬区)に住んでますよ」と教えてくれた。シャーマンは興奮して、ひとを介してフジタに会いに行った。

 以後、2人は、ファンと画家の関係を超えて、心を通わせる親友同士となる。そして、日本で“戦争協力者”扱いされ、なにかと生活が制約されていた藤田夫妻を助け、ニューヨーク経由でフランスへ渡る、その手助けもしてあげるのだ。

 フジタは、まず単身でニューヨークへ渡った。そして新天地での様子を、東京のシャーマンに、ものすごい頻度で《絵手紙》で送っていた。全部で50通ほど書いたそうだが、そのうちの28件(34点)が目黒美術館に所蔵されており、本展では3期にわたって全点が展示される。

〈妻が幸せで、頼もしく前向きに過ごしていると知り、とても嬉しいです。彼女のことを温かく見守ってくれて本当にありがとう。〉

〈親愛なるシャーマンへ、お元気ですか? 凸版の仕事がおもしろくないこと、よくわかるよ。〉

〈僕の妻はすぐにやってくる 感動の再会だ どうか僕たちにビザの許可をください〉

 すべての手紙には「絵」が添えられている。イラストともデッサンともマンガともとれる、なかなか味のある、しかもユーモアたっぷりの絵だ。もしかしたらフジタは、時評風刺マンガなども描けたのではないだろうか。

 なおこの《絵手紙》の文章は英語で書かれているが、会場には、日本語訳のプリントが置いてあるので、それを片手に、「文章」と「絵」を照らし合わせながら、鑑賞できる。「絵」のなかには必ずフジタ自身がいるので、それを探すのもおもしろいだろう。

 2人の交遊は、おおくの芸術家、文化人にひろがり、凸版印刷の仕事場は、いつしか「シャーマン・ルーム」と呼ばれるサロンと化した。シャーマン自身のコレクションも、次々に増えていった。

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