世界的な名声を獲得したパリではなく…生誕140周年で「ニューヨークの藤田嗣治」を一部“再現” 人気作品「猫の教室」の“秘密”とは

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生誕140年

 本年は、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の生誕140年である。第一次世界大戦以前にパリ・モンパルナスに滞在し、ピカソやモディリアーニらとの華やかな交流で知られ、日本人としては異例の高額で取引される画家としても話題となった。どこか日本画を思わせるタッチを取り入れた猫や少女、裸婦などの油彩で、いまでも世界的に人気のある画家だ。

 特に裸婦では、「乳白色の肌」といわれる独特な色彩画法で描いた。いったい、どんな絵の具を使用しているのか、本人は一切明かさなかったので、ミステリアスな印象はさらに高まった(死後、薬剤やベビーパウダーなどを使用していたことが判明した)。

 多くの美術ファンを魅了してやまないフジタ作品だが、8月13日からは、〈迎賓館赤坂離宮〉で《藤田嗣治生誕140周年特別参観「国宝迎賓館で出会う、フランスのやわらかな風景」》が開催されている。〈迎賓館赤坂離宮〉(国宝に指定)には、フジタの絵画が6点ある。かつて洋菓子店〈銀座コロンバン〉のために描いた天井壁画で、1974年に迎賓館に寄贈された。それらが9月15日までの期間限定で一般公開されるのだ。

 さらに〈軽井沢安東美術館〉では、フジタ生誕140年記念企画として、7月11日から、《ニューヨークの藤田嗣治》展がはじまっている(2027年1月11日まで)。目玉は、76年前にニューヨークで開催されたユニークな個展の一部“再現”だ。先月の内覧会で、同館の水野昌美館長、およびポーラ美術館の主任学芸員・内呂博之氏によるツアー・ガイドがあった。残り少ない夏休みだが、軽井沢を訪れる方も多いだろう。内覧会でのおふたりの解説を交えながら、企画展の内容をご紹介しよう。

人気作品《猫の教室》が明るい理由

 藤田嗣治(1886~1968)は、戦時中、陸海軍の指名を受けて従軍画家となり、戦争記録画の制作に携わった。そのため、戦後、まるで“戦争協力者”であるかのような批判を受けた。美術界からの誹謗中傷に疲れた藤田は日本に愛想をつかし、かつて暮らしたパリへ逃れる。そしてフランスに帰化し、レオナール・フジタとなって、二度と日本へもどらず、フランスで没した。享年81。

 フジタの略歴には、たいてい「1949年3月、日本を去り、パリへ向かう」などと書かれている。羽田空港から機上のひとになる直前の有名な写真なども残されているため、わたしたちは、てっきり、日本から直接パリへ向かったものだと思ってしまう。

 だがフジタがまず向かった先は、アメリカ・ニューヨークだった。なぜなら、日本では、フランス入国のビザが下りなかったのだ。フランスでも、フジタを“敵国の戦争協力者”との疑いの目で見ていたらしい。そこで、いったんアメリカに入り、そこでフランスのビザを取得しようとしたのだ。また、ニューヨークで美術教師の仕事があるような誘いもあった(これは実現しなかった)。

 実際にフジタがニューヨークで過ごしたのは、1949年3月~1950年1月の約10か月という短期間である。だがこの間にフジタは、ニューヨークのマシアス・コモール画廊で個展を開催していた。現在でも人気のあるフジタ作品のいくつかは、この個展で発表されていた。もうすぐフランスへ行ける――そんな、新しい人生を歩みだそうとする意気込みが、ニューヨーク時代の作品から、感じられるのである。

「この個展で発表された作品のひとつが、《猫の教室》です。現在、〈軽井沢安東美術館〉が所蔵しており、ポストカードの売れ行き第1位、まさに当館の“大スター”なんです(笑)」

 と、水野昌美館長が説明してくれた。猫たちが、教室で授業を受けている様子をユーモラスに描いた油彩画だ。後方では、授業そっちのけで取っ組み合っている猫もいる(どこか、ドリフターズの“学校コント”のようだ)。2023年3月~の同館の企画展《藤田嗣治 猫と少女の部屋》で初公開された。昨年9月~の府中市美術館《フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫》でも展示され、人気となっていた。

「この個展では、おなじ動物ものでキツネの家族を描いた《ラ・フォンテーヌ頌》も発表されました。この2点はフジタもお気に入りだったようで、その後、パリへ行ってからもずっと手放さなかった作品です。現在は、ポーラ美術館さんが所蔵されており、いつかニューヨークの個展を再現する形で、この2点をならべて展示し、多くの方にご覧いただきたいと願ってきました」(水野館長)

「《ラ・フォンテーヌ頌》は、《猫の教室》ほどの“大スター”ではないんですが……(笑)」

 と謙遜しながら、ポーラ美術館の内呂博之主任学芸員が、解説してくれた。

「キツネの家族の食事風景ですが、子どもが騒いでいて、落ち着いて食事ができず、両親はどうもイライラしているようです。この作品は、ニューヨークに着いて、まだはやい時期に描かれました。そのため、日本で“戦争協力者”あつかいされた不快感や、これからフランスへ行けるだろうかといった不安な思いが感じられます。しかし、そのあとで描かれた《猫の教室》は、とても明るく、みんな楽し気です。実は、このころ、フランスへ入れそうだとの情報が、フジタのもとへ入っています。《猫の教室》には、そんな彼の希望にあふれた気分が反映されているようです」

 当時のフジタの日記には、この個展会場での作品配置を示す「陳列図」が書き込まれていた。そのため、どんな作品が、どういう配置で展示されたかが、おおよそわかる。

 今回は、《ラ・フォンテーヌ頌》《猫の教室》以外にも、《美しいスペイン女》(豊田市美術館所蔵)、《人形を持つ少女》など、個展で展示されたと思われる作品を加え、可能な限り、ニューヨーク個展が再現されている。

 また、今回は《ニューヨークで描かれた猫たち~『猫の本』(1930)と『夜と猫』(1950)より》も展示されている。フジタ・ファンにはおなじみの猫を描いた2つのオリジナル画集と、その原画を観ることができる。

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