遺体なき殺人「無尽蔵事件」公判を前に“伝説の捜査1課長”が打った布石…一筋縄ではいかない容疑者の取り調べを“あえて素人警部に担当させた”驚きの理由

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裁判も長引く

「死体なき殺人事件」――事件を構成、検証するための最大の証拠である「遺体=被害者」がいない……。遺体の未発見に加え、凶器などの物証も乏しい。頼りになるのは被疑者の自白のみ――。

 少し先の話になるが、この事件は昭和60年3月13日、東京地裁刑事5部で1審判決が下されている。「自白以外の証拠によっても被告の犯行と認められ、自白内容も十分に信用できる」と、懲役13年(求刑同15年)の実刑判決がZに言い渡されている。

 公判でZは、逮捕当時の供述内容を覆し、一転して犯行を否認した。弁護側は「自白は取調官に誘導されたもので、信用性はなく、(Yさんの)死を裏付ける客観的証拠もない」としたうえで、(1)犯行があった昭和57年2月24日以降も、Yさん生存を証言する証人が5人いる(2)(Zは)24日の夜はスナックで飲んでおり、アリバイがある――などと主張していた。Zは控訴したが、高裁判決も変わらず。

 平成2年5月、最高裁第一小法廷が懲役13年の1審、2審判決を支持、Zの上告を棄却して刑が確定したが、事件発生から刑の確定まで、8年もの時間を要することになった。最大の物証である「死体がない」というのが、何よりも事件を難しくさせたわけだが、極めて不利なその状況を、捜査第一課はどうやって克服したのか――。

「死体さえ見つけられなければ大丈夫だと犯罪者に思わせる……そんな風潮が生まれることは断じて許してはならない。これは新しい判例を作る気持ちで臨むぞ」

 Zを“本丸”の殺人容疑で再逮捕するに際し、田宮氏は特捜本部員を前に、こう訓示した。この直前、特捜本部の中心である殺人犯捜査9係の寺尾正大係長から、こんな進言を受けていたからだ。

「(Zは)今は素直に話していますが、公判廷においては否認に転じる恐れがありますよ」

取調官に選ばれたのは…

 前回も記した通り、警視庁捜査第一課では伝統的にベテランの警部補が取り調べを担当することが多い。しかし、殺人・死体遺棄容疑で再逮捕されたZの調べを担当したのは、警部だった。それも、捜査第一課員ではない。田宮氏が選んだのは、東大法学部卒のキャリアで、警察庁入庁3年目。池袋署に見習い派遣されていた刑事課長代理のM警部だった。捜査はもちろん、取り調べの経験もない。下命を受け、驚くM警部に、田宮氏は言った。

〈「きみだって警部だろう。階級は飾り物じゃない。だれだって初めてということはあるだろう。きみが素朴に思ったことを被疑者に問いかけ、その答えをそのまま調書にするのだ。きみの考えたことを絶対に書いてはいけない。被疑者が喋ったことを、被疑者の言葉で書くのだ。きみならできる、自信をもってやれ」〉(田宮榮一著『警視庁捜査一課長 特捜本部事件簿』角川書店より)

 もっとも、“素人警部”が取った調書である。東京地検から、警視庁刑事部長に苦情が寄せられ、田宮氏は説明に出向いた。死体が出ていないため、公判でZが否認に転じることが十分に予想される。そこで重視されるのは被疑者調書だ。何よりもそのその任意性が争われることになるだろう。

「そのための布石です」

 そう語った田宮氏の予想通り、公判でZは容疑を否認し、弁護側は供述の任意性を追及してきた。公判で証人として出廷したM警部は弁護側からの質問にこう答えた。

〈「調書に書いてあるようなことを、被告人は本当に話したのですか、どうしてですか?」
「話したことをそのまま書きました。どうしてと言われても理由はわかりませんが、しいて言えば、私と歳が接近していて、私の方が弟ですが、弟にでも話すように気楽に話してくれたのではないかと思います」〉(前掲書より)

 捜査経験のない警部が、被疑者の語った内容を私見を交えず、丁寧に書き取った調書――最終的に、田宮氏の采配が功を奏したわけだが、最後まで予断を許さない事件だった。

【第1回は「“伝説の捜査1課長”が対峙した『古美術店主』失踪事件の闇…別宅に愛人を囲い、高級外車を乗り回す『疑惑の従業員』は果たして“クロ”か?」】

デイリー新潮編集部

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