遺体なき殺人「無尽蔵事件」公判を前に“伝説の捜査1課長”が打った布石…一筋縄ではいかない容疑者の取り調べを“あえて素人警部に担当させた”驚きの理由

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 被疑者が自供――捜査陣に何よりの朗報である。だが、昭和57年に起こった東京・南池袋の骨董店主殺害事件の担当係である、警視庁捜査第一課・殺人犯捜査9係には困惑が広がる。まず、想定していた「殺害現場」が違う。そして何より、被害者の「遺体」がない……しかし、奇策を思い立ったのは指揮官だった。(全3回の第3回)

遺体がない

 昭和57年2月から行方が分からなくなっている東京・南池袋の骨董店「無尽蔵」店主Yさん(56)は既に殺害されているとにらんだ警視庁捜査第一課は、同年12月4日(土曜日)の夜、従業員のZ(30)を別件の横領容疑で逮捕した。Zは8日には「Yさんはもういないと思う」などと、殺害をほのめかす供述を始め、1週間後の夜には殺害を認める供述を始めた。

 12月12日、日曜日。警視庁捜査第一課は早朝から機動隊のアクアラング部隊を動員し、川崎市の京浜運河で大規模な捜索を開始した。きっかけは、Zの供述だった。それによると、2月24日午後7時半ごろ、骨董品店内でYさんが突然、Zにキスを迫った。6年前から同店で働いていたZだが、

〈(Yさんから)こうした異常な関係を求められ、その都度嫌悪していた(Zは)、「いずれ店を継がせる」という(Yさん)の言葉を信じて、それなりに対応してきた。しかし、昨年暮れごろから(Yさんに)店を継がせる意思がうすいことを感じていたため拒否した。すると(Yさんが)「生意気だ。大学中退なのに大卒扱いの給料を出し、その上に二十万円近くを与えたのは、関係に応じるための手当てだ」「骨とう品の目ききもできないのに、高い給料を払っていたのも、そのためだ」〉(朝日新聞 1982年12月16日付)

 カッとなったZは仏像を作る際に芯にする大型のボルトでYさんの頭部を複数回殴り、殺害。遺体をそのボルトと共に京浜運河に遺棄した――。捜査第一課の当初の見立て通り、Yさんは殺害、遺体は遺棄されていた。だが、大きな問題が起こる。捜査第一課長として指揮をとった、田宮榮一氏の述懐である。

〈「しかし、自供を得たことで喜んだのも束の間です。殺害現場は、すでに家主に明け渡していたため鑑識活動ができなかった『無尽蔵』の店内だという。正直、青くなりました。慌てて、陳列棚などの処分先に捜査員を走らせ、回収させました。そして『無尽蔵』の店内を再現させた。そこで、ルミノール反応をとると、店内の一部で血液の飛沫痕が発見できた。(Yさんと)同じ血液型でした」〉(「週刊新潮」2004年9月16日号)

 そして最も重要なYさんの遺体の発見・確認・検分である。

 Zは最初、Yさんの遺体を「荒川に捨てた」と話したが、遺棄場所の地形が整合せず、矛盾点を追求すると、出身地で土地勘もある川崎市の京浜運河に捨てたと自供した。Yさんの遺体を布団や絨毯でくるみ、商品梱包用のビニールひもで縛り、殺害の時に使用したボルトの他、数個のボルトを重りとして一緒に入れ、3月7日に遺棄したと、その詳細を述べた。

 しかし、京浜運河をいくら捜索しても、肝心の遺体が出てこない……巨漢だったYさんを殺害後、遺体が腐敗する際に発生するガスで水面に浮かないようにするためには、40キロ超の重りを付ける必要がある。Zの自供では、重り代わりに入れたボルトなどの総重量は10キロに満たなかった。もしかすると遺体は水面に浮き、そのまま流されてしまったのか……。

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