「もう話はすんだ。それではさようなら」…誰もが真相を知りたがった「スチュワーデス殺人事件」“疑惑のベルギー人神父”の肉声

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 週刊新潮にとって「昭和三大未解決事件」の一つ〈BOACスチュワーデス殺人事件〉――通称〈ベルメルシュ事件〉。前編では、週刊新潮記事や松本清張氏の小説などから、事件を追い続けた記録を紹介した。「三大未解決」に数えられるだけあって、この事件は映画化もされている。後編では、事件の様々な追跡者たちのエピソードを紹介したい。(前後編の後編)

命がけで撮影された映画

 1959年秋、大映系の映画館で、1本の新作映画が公開された。タイトルは「殺されたスチュワーデス 白か黒か」。監督・脚本は、ベテラン脚本家で、日本大学芸術学部教授もつとめた猪股勝人(1911~1979)。久保菜穂子、田宮二郎、笠智衆、左幸子、根上淳などの豪華出演陣、音楽は伊福部昭。製作は、猪股氏が設立した独立プロ〈シナリオ文芸協会〉だが、事実上、猪股氏の自主製作のような映画だ。

 題名からして、明らかに、この年の3月に発生した〈スチュワーデス殺人事件〉――通称〈ベルメルシュ事件〉がモデルの映画である。

 この映画、封切日は10月6日。重要参考人、ベルメルシュ神父の突然の出国が6月11日だから、わずか4カ月弱で製作~公開されたことになる。

〈この事件を知って、ぼくはすくなからざるショックを受け、憤激を禁じ得なかった。(略)この神父、および彼を本国に呼び返したカソリック本部のやり方に非常な不信と怒りを覚えたのである。〉

 猪股氏自身、この自作について内情を書き記している(猪股勝人『日本映画名作全史〈戦後篇〉』現代教養文庫/社会思想社刊、1974)。

〈そして、「神と愛欲」というシナリオを書き上げた。前半は一青年記者が問題の真相究明に懸命となるすがたを、後半では、彼の推理した事件の真相を、一つの見方として描くという構成をとってみた。〉

 この企画に、大映の永田雅一社長は大乗り気。「立派な作品をこしらえてくれ」と、猪股氏の手を取って激励してくれた。ところが……猪股氏は〈信ずべからざる事件はそれから連続的におこったのである。〉と書いている。

〈まず第一に、カソリック信徒と称する未知の人からの恐喝と呪詛の手紙、それが三十通もきた。ぼくの上に神の呪いが下るようにと書いてある。(略)教会堂のロケも拒絶されたので府中の病院をかりて撮影した。/BOACからの妨害で、羽田空港のロケができなくなったことも、困ったことの一つであった。やむなく友人の斡旋で、鹿沼の市庁舎と、横浜のシルク・センターを空港ターミナルに仕立ててごまかした。〉

 そればかりではない、猪股氏らスタッフは、命まで狙われかけたというのだ。

〈日光ロケの際、いろは坂をロケバスで下っている時、追い抜いていった怪しいルノーに油を路面に流され、スリップして壁に激突、全員危うく一命を失わんという事件もあった。〉

 ちなみにルノーはベルメルシュ神父が所属する教会の所有で、神父が日常的に使用していた車である。

 しかも、いつの間にかタイトルは「神と愛欲」から、「殺されたスチュワーデス 白か黒か」というキワモノ題に変更されていた。進んでいた海外配給の話も、外務省の要請で中止になった。「諸外国のカトリック勢力を刺激することで、日本の貿易に悪影響を与える恐れがある」との理由だった。そればかりか、ラストで田宮二郎が扮する新聞記者が「僕は神なんか信じない」と絶叫するセリフなど、計90分もの部分が映倫で削除された(オリジナル版は122分)。結局、劇場公開も、すぐに打ち切られた。

〈とにかくそうして、ぼくの作品は(略)葬り去られてしまったのだ。ぼくは七百万円の赤字を整理するのに、それから何年も苦心惨憺しなければならなかった。/貧乏作家のぼくには、もう二度と映画をつくることができない。〉

 ところが、2022年1月、カット部分を含む完全版フィルムが、奇跡的に発見された。そして東京・渋谷のミニシアター「シネマヴェーラ渋谷」における特集上映〈あなたは猪股勝人を知っているか〉で、オリジナル122分版が、ついに上映されたのである。

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