逆玉の輿生活は結婚8年で暗転 跡継ぎになるはずが…「僕は種馬だったの?」49歳夫が巻き込まれた妻の一族の“秘密”

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母と二人暮らし、新たな職も探して

 60代になった母は、質素な生活を送っていたためかなり貯金があった。母に頭を下げてそこから敷金礼金を払い、小さなアパートでともに暮らし始めた。

「母はときどき説教口調で言うんですよ。『あなたがもうちょっとがんばればよかったんじゃないの?』『期待されたほど仕事ができなかったんじゃないの?』と。うるさいと怒鳴りつけたこともあります。母は嗚咽していましたね。悪いと思ったけど、僕だってどうしたらいいかわからなかった」

 情けなかったが、恥を忍んで前職の社長に会いに行った。そんなことになっていたとはと社長は絶句し、「かえって申し訳なかった」と言ってくれた。うちは今、きみに働いてもらう余裕がないからと社長は、知り合いを紹介してくれた。

「工場なら雇えると言われ、シフト制の工員になりました。単純作業ですが、むしろその単純作業に救われた。何も考えずに駒のひとつになればいい。そうやっているうちに母が膵臓がんになって、病院に行ったときには余命3ヶ月。そして宣告通りに亡くなりました。ストレスを抱え込んだのかもしれないと、その後、僕はかなり落ち込みました」

 ひとりきりで母を見送り、骨壺を抱えてアパートに戻ってくると、玄関前に梨紗子さんが立っていた。あの折、社内不倫を疑われた、沙也佳さんの異母妹だ。優夫さんが会社を辞めて離婚したころ、梨紗子さんもひっそりと会社を辞めていた。

穏やかな暮らしに現れた訪問者

「探したわと梨紗子が言ってくれた。ふたりで部屋に入って泣きました。梨紗子はそのままアパートに居着いてしまった。僕も彼女がいることで救われたところもあるけど、梨紗子を見ると沙也佳を思い出すので、つらくもあった。ただ、ひとりでいるのは耐えられなかった」

 お金もなかったが、梨紗子さんはその後、福祉関係の資格を得て働き始めた。婚姻届を書く気にはなれなかったが、梨紗子さんは結婚を要求はしなかった。ただ淡々と、小さなアパートで穏やかな暮らしが続いていることを、案外、悪くないと彼は思っていた。梨紗子さんとは些細なことで笑い合ったり、テレビを見ながら急に議論をしたりすることができた。

「このまま働いて、ごはんを食べて寝る。それだけの生活でもいいと思えた。いろいろなことをあきらめて、心は穏やかになっていきました」

 昨年のことだ。息子2人が、優夫さんの勤める工場に会いにきた。あれから10年以上、連絡をとっていなかった息子たちが、何をしに来たのかと優夫さんは身構えた。

「子どもたちには何度も会おうとしたり連絡をとろうともした。だけど沙也佳に禁止されたんです。父親はいらないからって。おそらく僕の悪口もさんざん子どもたちに吹き込んだんだと思います。息子が中学生のころ、学校の近くで待っていたことがあるんです。息子が門を出てきたので、声をかけたら逃げられました」

 だが息子たちも20歳になっていた。僕らはおとうさんを誤解していたような気がするとふたりは言った。おじいちゃんは、今も体は不自由だが頭ははっきりしていて、経営に口を出している。それをおかあさんはうっとうしく思っているようで、ふたりは毎日のように言い争っている。僕らは大学生だけど、会社は継がないと彼らは言った。沙也佳さんが息子たちに継がせようとがんばって大きくした会社を、彼らは継ぐ気がないというのだ。

「おとうさんがどうして出て行ったのか、それを知りたいと言う。でも僕の口から、元妻の悪口を言う気にはなれなかった。言えないよと言ったら、『やっぱり。おとうさんはそういう人だと思ってた』と。そこから連絡を取り合うようになり、ときどき会っています。娘は今も沙也佳の味方らしいけど、時間の問題だと思うと、先日、息子たちは言っていました。でもわざわざ母親を嫌う必要はないから、娘はそうっとしておいたほうがいいと僕は思っています」

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