逆玉の輿生活は結婚8年で暗転 跡継ぎになるはずが…「僕は種馬だったの?」49歳夫が巻き込まれた妻の一族の“秘密”

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【前後編の後編/前編を読む】取引先社長から「7歳上のうちの娘と結婚してくれ」 母にはマンション、奨学金も肩代わり…貧乏育ちの僕を待っていた甘すぎる縁談は罠なのか

 福岡優夫さん(49歳・仮名)は、父を事故で亡くし、母とともに酒乱の祖父から逃れて首都圏の母子寮で育った。「貧乏だけは嫌だ」と心に刻んだ彼は、国立大学を卒業し、金融関係の会社に就職する。27歳のとき、取引先の社長から、7歳上のひとり娘・沙也佳さんと結婚し、ゆくゆくは会社の跡継ぎにならないかと持ちかけられた。母には住まいを用意し、奨学金の返済も肩代わりする申し出に、優夫さんは沙也佳さんとの結婚を決意。半年後には社長の会社へ移り、人生は開けていくはずだった。

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 ところが人生は思い通りにはいかない。思いもかけない形で裏切られることもある。一寸先は闇なのが生きるということだ。

「最初の5年間は天国でした」

 優夫さんはそう言う。結婚してすぐ沙也佳さんが妊娠、双子の男の子が生まれ、義両親も大喜びだった。その3年後には女の子が生まれた。

「義父はひとり娘の沙也佳に甘くて、子どもが生まれるとすぐ、通いのお手伝いさんを手配してくれました。沙也佳の実家も近いし、僕も何の心配もなかった。実際、沙也佳は子どもの世話をお手伝いさんに任せて、僕の好物のビーフシチューを腕によりをかけて作ってくれたりもしていた。僕自身はサラリーマンであることに変わりはなかったし、特別に給料がよくなったわけでもなかったけど、おそらく生活費は妻の実家から出ていたんでしょう。小遣いとして6万円もらっていましたから、30代子持ちのサラリーマンとしては小遣いも多かったと思います」

 帰宅すればかわいい子どもたちが待っている。妻はきちんとしていた。会話が弾むことはなかったが、彼の神経を逆なでするようなこともなかった。

「学生時代、同じ学部の子とつきあったことがあるんです。彼女は向上心に満ちていて刺激的で楽しかった。妻とはそういうワクワクするような気持ちを共有することはなかった。沙也佳は家庭が第一で、つつがなく暮らしていければそれでいいと思っているようだった。もちろん、妻としてはそれでいいんだけど、彼女が何かに夢中になったり、これからこういうことをしたいと話すのを聞いたことがなくて。不満というわけではない、でも何かが物足りない。娘が生まれたころから、そんな思いを抱えていました」

 仕事も決しておもしろくはなかった。前の会社のほうがやりがいがあった。新しい職場はいつまでたっても、彼をお客様扱いしていて、なかなかひとりで仕事をさせてもらえなかった。

非常事態に“蚊帳の外”に置かれて

 結婚して8年たったある日、社内が騒然となった。社長が倒れたのだ。救急車に同乗したのは専務だった。自分ではなかったことに彼は一瞬、驚いたという。

「社長は脳卒中でした。なかなか意識が戻らなかったんですが、10日ほどたってやっと戻って……。ほっとしたけど、前みたいに働くことはできないだろうと言われました。意識が戻ったときは自分でもどこにいるのか、何が起こったのか把握していないようでした」

 会社としてはすぐにでも代理を立てなければという方向で協議されたようだ。そこでも彼は蚊帳の外だった。そして代理となったのは、沙也佳さんだった。

「会社の総意だからしかたがないと沙也佳は言いました。でもずっと専業主婦だったのにと言うと、『あなたが来るまで、私はバリバリに働いていたのよ、社長と同じように』って。それは知らなかった。だから本当は、沙也佳は結婚しなくていいと思っていたそうです。会社を継いで、もっと大きくしたいと考えていた。でも自分のあとはどうなるのだろうと考えたら、やはり子どもはほしかった。産めるかどうかギリギリのところであなたに出会えた。だからあなたには感謝していると沙也佳は言うんですが、じゃあ、社長が言っていた僕を後継者にという話はどうなったのか……。でも役員たちは僕を代理にするのを拒否したわけですから、どうにもならない」

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