村上春樹3年ぶりの長編小説『夏帆』に登場するLPレコード――その楽しみ方を徹底解説 二つあるカザルス盤、夏帆が聴いたのはどっち?

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 村上春樹氏の新作『夏帆 -The Tale of KAHO-』(新潮社)が刊行された(以下、『夏帆』と略す)。3年ぶりの長編小説で、初めて女性が主人公ということで、話題になっている。

 村上文学には、さまざまな音楽(音盤)が登場する。今回もクラシック音盤の名が出てくるようなので、それらについて、音楽ライターの富樫鉄火氏に解説してもらった。

〈古風な美しい音楽〉を奏でる4人の演奏家

 作家・夏帆の父親は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)で、小児科医を開業しているとの設定です。この父親は、クラシック音楽のLPレコード盤収集が、唯一の趣味なのです。

〈父親にとっては居間のソファに座って、ブルーノ・ワルターやジノ・フランチェスカッティやサンソン・フランソワやピエール・フルニエの奏でる、いくぶん古風な美しい音楽に耳を傾けることが、その人生における数少ない歓びのひとつだった。〉

 4人の演奏家の名前が登場しました。具体的には書かれていませんが、どんな音盤なのか想像するのは、なかなか楽しいものです。

 まず、ブルーノ・ワルター(1876~1962)はドイツ出身の指揮者。マーラーと親交をもち、交響曲《大地の歌》や《第9番》を初演しています。特に、1952年にキャスリーン・フェリアー(コントラルト)ほかとウィーン・フィルで録音した《大地の歌》DECCA盤は名盤で、まちがいなく、父親のレコード棚には、あるはずです。映画監督・黒澤明の愛聴盤で、「乱」の製作時、これにそっくりな曲を書けと武満徹に要求し、対立した話は有名です。

 次のジノ・フランチェスカッティ(1902~1991)は、フランスのヴァイオリニストです。南仏マルセイユ生まれのせいか、とても明るい演奏をするひとでした。父親もヴァイオリニストで、天才パガニーニの孫弟子筋だったこともあり、自身もパガニーニが大得意でした。しかしやはり彼の名盤は1961年録音の、ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲》でしょう。これも上記ブルーノ・ワルターの指揮です。

 3人目のサンソン・フランソワ(1924~1970)は、フランスのピアニストです。破滅型といわれるくらい、自由奔放な演奏をするひとでした。ショパンが得意でしたが、なんとなく夏帆の父親は、ラヴェルの2つのピアノ協奏曲をおさめた、1959年録音のコロムビア盤を聴いているような気がします(アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団)。なにしろフランソワは、マルグリット・ロンの最後の弟子でした。ロンはラヴェルの盟友で、名曲《ピアノ協奏曲 ト長調》を初演したピアニストです。しかもフランソワは、彼女の名を冠したロン=ティボー国際コンクールの第1回(1943年)で優勝しています。まさにラヴェル直系というわけです。特に第2楽章の美しさは有名で、いかにも父親が、居間のソファで聴いている姿が目に浮かぶようです。

 4人目のピエール・フルニエ(1906~1986)は、フランスのチェリストです。特に、バッハ《無伴奏チェロ組曲》全集(1960年録音、アルヒーフ盤)が名盤としてしられています。格調ある演奏で、“チェロの貴公子”と呼ばれました。『海辺のカフカ』の、高松の喫茶店のマスターが敬愛しており、「フルニエ先生」と呼んでいました。フルニエは親日家で、後年に再婚した夫人は、日本人でした。

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