実はメジャーだった「現代音楽」はなぜマイナーになったのか――60年代生まれの音楽評論家が考える「決定的な理由」

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 かつて現代音楽家がスターだった時代がありました。日本でも60年代は武満徹や黛敏郎、一柳慧などが一般メディアでも盛んに取り上げられ、特に音楽に詳しくない人たちの間でも、その名前や顔が知られていました。

 ところが、現代音楽は今やすっかり一部のマニアのものとなってしまった観があります。なぜ現代音楽は戦後の一時期にメジャーとなり、その後マイナーなものとなっていったのでしょうか。岡田暁生さんと片山杜秀さんの対談本『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けします。

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「現代音楽」の全盛時代は東西冷戦の時代

片山:おおむね、現代音楽とは「無調」、いわゆるシェーンベルク以降のものが本流だという歴史観が主流でしょう。特に東西冷戦に入ってから、西側で書かれた歴史が、長く現代音楽史であるかのように思われてきたわけです。

 教科書風にいえば、イーゴリ・ストラヴィンスキーやシェーンベルクの後に、ピエール・ブーレーズとかカールハインツ・シュトックハウゼンとかが登場し、日本だったら武満徹が出てくる。そういう流れが正統であるとの史観ですね。たぶん何十年か通用していた。

 ところがいま振り返ると、あの時代に特有な、未来に向かって予定された音楽史だったように思います。しかももはやアクチュアリティをかなり失っている。

岡田:いわゆる「現代音楽」の全盛時代って実は東西冷戦の時代なんだよね。「西側にはなんでもありの自由がありますよ」と宣伝するツールのひとつが現代音楽だったかもしれない。

片山:いきなりこんな話で始めてはいけないのかもしれないけれど、冷戦時代には、いわゆる進歩的知識人たちがその名の通りで進歩を定義していたわけでしょう。芸術においても何が新しく前衛的であるかが問題とされ、新しさについて行けない人々は保守的で時代遅れであるという考え方ですね。

 振り返れば、ベートーヴェンだって、彼が生きていた時代には前衛でした。特に後期のベートーヴェンは、当時の人はみんな理解できなかった。弦楽四重奏曲の一楽章として書かれた《大フーガ》なんて、あまりにわけがわからないので、別途造り直されたコンサヴァティヴな楽章に差し替えられたくらいです。しかし、いまは《大フーガ》は、普通かどうかわからないけれども、いちおう聴かれている。

 それと同じように、シュトックハウゼンやブーレーズやルイジ・ノーノは、初演時には理解できなくても、これから10年か何十年かすると、誰もが聴くようになると信じられていました。それこそ人類が月に住み、核融合型の原子力発電所がすぐ当たり前になると信じられていたように。

 シュトックハウゼンは、1970年代になると、あれは少しトーンダウンしていたということか、「第3次世界大戦のあと、生き残った人類が自分の音楽を普通に聴くようになる」と言っていた。そう言えばマウリツィオ・ポリーニは、ベートーヴェンにブーレーズやシュトックハウゼンやノーノを組み合わせるプログラムを好んで弾いていたでしょう? ベートーヴェンの次の人類の音楽ということですよ。指揮者のクラウディオ・アバドのノーノ好きも同じくということでしたよね。

岡田:現代音楽に真摯に身を捧げようという人がいた。でもどこか「がんばって分かろうとする」というか、無理して分かろうとしていた印象もあった。ちなみにアバドもポリーニもノーノもイタリア共産党の人で、その前進史観というものが前衛音楽擁護と結びついていた。アヴァンギャルド、つまり最前線で戦うんですよね。イタリア共産党の創始者のひとりグラムシは、若いころは社会党の機関紙『アヴァンティ!』の編集者でした。「アヴァンティ!」とは「前進!」だもんな。まあアバドもノーノもポリーニも全員が超ブルジョワ家庭出身というのもイタリアらしいんだけど。ミラノの名門家系の超ボンボンだったポリーニは、1968年前後には労働者を前に前衛音楽を弾いたりしていた。ブルジョワの巣窟みたいなスカラ座でね(笑)。労働者を啓発しようとしていたんでしょう。

片山:そうですね。現代音楽がわかるのが文明人だ――とでもいうような。ブーレーズやシュトックハウゼンを、こんなのは人間の耳に心地よくないと言っている人は時代錯誤者の烙印を押され、進歩的聴衆に叩かれていましたね。

岡田:あのころ現代音楽はSF未来のイメージと結びついていたのかもしれないね。宇宙人と交信する時代の音楽、みたいな。実際キューブリックの偉大なSF映画『2001年宇宙の旅』では月世界やワープの場面でリゲティ・ジェルジェが使われて、本当にはまっていた。そして前衛擁護者だったポリーニの弾くショパンには、超未来のアンドロイドみたいな魅力があった。あれは未来派的な、こういってよければ最新フェラーリのようなショパンだった。

現代音楽の社会的基盤の崩壊

片山:ところが、1970年代のうちにはポスト・新ウィーン楽派の音楽よりもミニマル・ミュージックの方が聴衆を増やし、80年代には東側の旧ソ連のエストニアから出て来たアルヴォ・ペルトのような作曲家のかなりシンプルな音楽が西側でも愛されるようになった。そして90年代に入ると冷戦構造の崩壊を受けるかのように、西側では現代音楽にお金を投じる国家や放送局やお金持ちがみるみる減って、現代音楽の社会的基盤が崩れ始めた。80年前後からは作曲家でも転向者が増えていったでしょう。もちろん転向しない人たちもいる。一種の現代音楽村みたいなサークルを作って続いていますが、前衛はとうの昔に死語になったかもしれない。

岡田:超マイナーなりにいまだ「業界」をつくってはいますけどね。

片山:そうやって考えると、時代ごとに音楽史というのは捏造されてきているような気もします。とくに20世紀後半の冷戦期の西側では進歩主義者の思い込みが行きすぎて、今日まで尾を引いている。それを真に受けて、池や溝に嵌っている人は今もいるでしょう。いろいろな思い込みを括弧に入れて、少し冷めた目でクラシック音楽史全般に接してもいいのではないかと思います。

※岡田暁生・片山杜秀『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部