「モノクロの家族写真を指差して“すっごく幸せやったんやで”と…」 中村玉緒さんが施設で語っていた勝新太郎への愛 勝の甥が明かす「舞台の袖で見せた天才エピソード」も

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「“海物語やってまっか?”って、袖でパチンコの話を……」

 そして96年、夫婦は初めて舞台で共演する。演目は「夫婦善哉 東男京女」。東京・深川で育った勝と、生粋の京都育ちである中村さんを思わせるサブタイトルだ。

「この舞台のときに、勝おじちゃんから“今日は袖で見ろ”と言われたことがありました」

 そう語るのは、若山富三郎の長男で、勝の甥である俳優の若山騎一郎(61)だ。

「すると、近くにいた玉緒おばちゃんが“海物語やってまっか?”って、袖でパチンコの話を続けるんですよ。俺が“おばちゃん、もう出番……”と言うと、“ちょっと待っとってな”と言って舞台に出て、キチッと演技する。こんな切り替え、天才じゃないとできないと思いました」(同)

 が、めでたい共演もつかの間、翌97年、勝は下咽頭がんで亡くなった。

「おじちゃんは抗がん剤を打っていたけど、髪が抜けなくてね。最期までいつもの勝新太郎のスタイル。俳優のパフォーマンスって、こういうことなんだなと思いました」(同)

「お顔にかかっている白い布をペラッとめくって“こんなんでっせ”と」

 弔問に森繁久彌が訪れた際には、

「森繁先生が泣きながら“勝っちゃん、起きてくれ、よみがえってくれ”って言うと、おばちゃんが“パパさん、パパさん、先生が言うてはりますで”と呼びかける。何度も繰り返すから、本当におじちゃん目を覚ますんじゃないかと思ったよ」(若山)

 バラエティー番組で中村さんと共演していた浅田美代子(70)も、弔問に訪れた。

 浅田が当時を振り返る。

「勝さんが入院していた頃、玉緒さんは病院から『スーパーからくりTV』のスタジオに来ていました。でも、仕事の場ではそういうことをおくびにも出さず明るいままでした。勝さんが亡くなったときにお家に伺うと、玉緒さんから“美代子さん、(勝に)会ったことある? なかったよね?”と聞かれて、私は“ないです”と答えました。すると玉緒さんは、勝さんのお顔にかかっている白い布をペラッとめくって“こんなんでっせ”と言ったんです。その言い方がおかしくて、まわりにいる方はみなさん大爆笑。私は笑いをこらえるのに必死でした」

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