「3億円事件」でも「グリ森事件」でもない“昭和の未解決事件”…27歳女性CAが変死した謎多き「ベルメルシュ事件」を週刊誌はどう報じたか
「神父」に肉迫していた、週刊新潮
記事は、東京に移ってからのTさんの派手な男性関係についても、取材している。とにかくTさんの周囲には常に男性がいて、トラブルがつきまとっているのである。だがBOACに採用が決まると、いままでの男性関係について、ある友人に対し、ハキハキした口調で、こう答えたという――。
〈「これからは、その気になれば、アメリカ人とでも、だれとでも結婚できるんだから、あわてないことだわ」〉(同)
結局、週刊新潮の取材の範囲内では、容疑者らしき男性は、浮かび上がってこなかった。先述のように、この時点では、ベルメルシュ神父の存在は、まったく報じられていない。彼の名前が出るのは、2か月後である。たしかにTさんはキリスト教系の学校を出て、教会に出入りしながら看護婦の仕事をつとめていた。だが、まさか聖職者たる「神父」と、のちに報じられるような“親密”な関係があったとは、誰も予想していなかった。
ところが――この“第一報”を読むと、もしかしたら週刊新潮は、その「神父」に、はやくも肉迫していた可能性があるのだ。
記事の前半で、Tさんが、約6週間、ロンドンで研修を受けている姿が報じられている。おそらく、その姿を細かく知る友人の証言をもとに、この部分は書かれている。彼女がロンドンにいる間、日本の宗教出版社〈D社〉(記事では実名)から宗教関係の新聞が、さかんに送られてきていたというのだ。しかも、
〈毎度のように、切手を1500~1600円も貼ってくるのだ。10回続けば1万5000円になる。ある外国通によると、その切手を上手にはがして切手商に持ってゆけば、かなりの小遣い銭になるという。〉
この当時、日本とヨーロッパ間の郵便は、船便だったら切手代は数十円である。1万5000円といえば、1959年の大卒の初任給と、ほぼ同額だ。現在だったら、25万円前後の感覚だろうか。
もちろん、週刊新潮は、その〈D社〉に問い合わせた――。
〈ところが、当のD社では一向に新聞を送ったおぼえはないという。この会社は、カトリック関係の宗教書を出版しており、Tさんも、直接購読者の一人ではあるが、わざわざロンドンにまで新聞を送ってあげるほどの、親密な仲ではなさそうである。〉
実は2か月後に判明するのだが、ベルメルシュ神父は、この〈D社〉の所属だった。週刊新潮は、はやくも“第一報”で、神父の身辺ギリギリまで迫っていたのである。もしかしたら、〈D社〉へ取材にいって、そうとは知らずにベルメルシュ神父に会っていた可能性もある。
週刊新潮の“第二報”は、約2か月後、1959年5月25日号だった。なんと7ページにわたる大型レポートで、そのタイトルは、《噂の中の神父 スチュワーデス事件真相攻防戦》。写真入りで初めて大々的に報じられたその神父こそ、ルイ・ベルメルシュだった。そしてこの日から週刊新潮は、30年以上にわたって、この男を追いつづけることになるのである。
※記事中の組織名などはすべて当時のものです。また記事本文の引用は、主旨を変えない範囲で、一部の表記などを変更しています。
[4/4ページ]


