数多の週刊誌記者が頭を抱えた「発売日の悪夢」…記事が印刷された後に“事態が急変”したら

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取材を尽くしても……

「記事にも書きましたが、岡田社長は、事前に、役員会の“予行演習”をおこなっていたのです。10日ほど前に、岡田社長の部下で、“社内スパイ組織”の総元締め、M取締役(記事では実名)が、ほかの役員を全員呼び出し、一人一人起立させて、『絶対に岡田社長を裏切りません』と誓約させていた。さらに岡田社長自身も、役員を個別に面接して『22日の役員会で裏切ったら、降格だ。交通事故には気をつけるんだな』と締めあげていたのです。組合に対しても『騒ぐなら騒げ。しかし家族の安全は保証せんぞ』と脅していた。そのため、組合もビビってしまい、おだやかな“要望書”を出しただけでした」(元週刊新潮記者のAさん)

 映画「仁義なき戦い」の一場面じゃあるまいし、これが日本を代表する老舗百貨店の、経営陣の姿だったのである。

「ひとりだけ、『反岡田派の役員は10人はいて、すでに退陣勧告の連判状もあり、十分勝算はある』とのコメントもあったのですが、ほかに伝わってくるのは、すべて、岡田体制がいかに盤石かという話ばかりでした」

 その結果、21日(火)夕方に校了になった記事が《大山鳴動「三越役員会」前夜の「忠誠テスト」》(1982年9月30日号)である。記事の最後は、こう結ばれている。

〈しかし、「オレ一人になっても、あくまで社長はやる」といきまく、このワンマン社長は、コトここに至っても“政権”の座を譲り渡す気配は全くない。「忠誠テスト」による取締役陣の締め付け策に並行して、取締役会を乗り切るために「経営改善案」なるものをまとめたという岡田社長――そして、いよいよ九月二十二日を迎えることになったのである……。〉

 断定しているわけではないが、記事は全体的に、岡田体制は今後もつづくであろうといったニュアンスでまとめられていた。

 そして9月22日(水)の役員会……。

「なぜだ!」

 役員会は順調に議案が処理され、いよいよ、最終議案となった。すると、突然、S専務(記事では実名)が、岡田社長の解任動議を提出した。すぐに、全役員が賛成の起立。岡田社長は、あっという間に解任されてしまうのである。提案したS専務は、岡田社長の最大の腹心と見られていただけに、岡田社長自身、わけがわからず、「何だ、何だ、これは」と叫びつづけるしかない。すると社外重役の三井銀行相談役・小山五郎氏が「岡田君、もう終わったんだよ」となだめ、役員会はわずか35分で散会となった(のちに正確な第一声は「なぜだ!」だったと伝わり、この年の流行語になった)。

「水曜日は休みですから、わたしは、昼近くまで、のんびり寝ていました。ところが、お昼のテレビで、岡田社長が解任されたとのニュースを見て、青くなりました。翌木曜日の朝刊でも大ニュースです。その木曜日の朝刊に、週刊新潮の広告がデカデカと載り……タイトルが《大山鳴動「三越役員会」前夜の「忠誠テスト」》ですから、読者は、まるで炭酸の抜けたコーラを飲まされるようなものです。役員たちは、見事に面従腹背を演じていたばかりか、全マスコミも騙しとおしていたのです。もう、悔しいやら、情けないやら……。こっちが『なぜだ!』と言いたくなりました」(元週刊新潮記者のAさん)

 しかしこれで引き下がらないところが、週刊新潮である。翌週号の編集会議で、意気消沈する三越取材班を前に、山田彦彌編集長が、こう言った。

「岡田解任を見抜けなかったのは、うちだけではないので、仕方なかったとは思うよ。しかし記事のなかに、わずかでも、反対派が勝つかもしれないとのコメントがあったのだから、ここを、もうすこし突っ込むのが、ぼくたちの仕事だったんじゃないかな。ぜひ、今週は、取り返してくれよ」

 かくして取材班は新たに体制を組みなおした。記者も増員され、怒涛の“反撃”が展開した。岡田社長がいなくなると、とたんに幹部たちの取材対応も、変わった。記事のなかで、岡田社長の腰巾着のように書かれた幹部氏に至っては、自ら編集部に電話してきて「おれ、あそこまで情けないことしてないよ。ほんとうのこと話すから、もう、おれのこと書かないでくれよ~」と泣きつき、以後、重要な取材源となった。

 翌週の記事《三越クーデター「論功行賞」の暗礁》(1982年10月7日号)では、役員会の全容が、それこそ役員の席順や発言の詳細、散会後にひとり残って泣いている岡田社長の姿までもが描かれていた。そればかりか、岡田社長と愛人のプライベート写真までもが掲載され、以後の週刊新潮は、長く独占スクープを連発するのである。TV各局のワイドショーが、記事内容や写真を使わせてほしいと、“提携”を申し入れてくるほどだった。

 この三越報道の場合は、すでに配本がはじまった「水曜日」に事態の変化が判明したので、もうどうしようもない。しかし、もし、火曜日の校了直後に、それがあったら――。

【第2回は「発売前日に“新事実が発覚”して顔面蒼白…ネットニュースでは考えられない『昭和の週刊誌』の修羅場『これでもう精いっぱいだよな』

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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