プーチン大統領の前で“聖火が消えた”、ヒトラーを驚かせた12歳の日本人少女スケーター…「冬季五輪」の仰天エピソード

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ヒトラーを驚かせた身長127センチ!

 そして、14歳で五輪代表を務めたリンよりも、更に凄い日本人少女もいた。1924年生まれの稲田悦子は女子のスケーターとして1936年、ドイツでおこなわれたガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季五輪に出場。当時、誕生日が来たばかりの12歳であり、これは現時点での夏季、冬季含めた日本人最年少出場記録である。かつ、身長は127センチで、開会式で稲田を観た同国の総統アドルフ・ヒトラーは、側近に尋ねたという。

「あの少女は、いったい何をしに来ているのか?」

 稲田は五輪期間中と、前月にベルリンでおこなわれたフィギュアスケート選手権でもヒトラーと握手をしている。そして、第二次世界大戦前の冬季五輪に参加した唯一の日本人女子選手でもあった。近年刊行された、その生涯を綴った電子書籍のタイトルは、以下である。

「稲田悦子伝: ヒトラーと握手した唯一の日本の少女」(MM Company)

 時代はまさに第二次世界大戦前夜。風雲急を告げていた。ドイツの競技場には国旗でなく、おびただしい数のカギ十字の旗がはためいていた。そして人種差別を助長するビラは五輪開幕直前まで、市内の壁を埋め尽くしていたという。

 しかし、開幕すると、それらのビラは無くなっていた。時のIOC会長が強固な姿勢でヒトラーと直接交渉。撤去させたのだった。

「Peace & Love」

 演技や記録以外で、前出のジャネット・リンの日本での人気を決定づけた出来事がある。リンの好感度の高さを見込んだ選手村のルームメイトが茶目っ気を出し、「壁に、日本のファンへの書き置きでも残して行ったら?」と勧めたのだ。既にファンレターを何通も貰っていたリンは部屋の壁に、こう書き記した。

「Peace & Love」(平和と愛)

 この事実が報道されると、リンへの支持は決定的に。「Peace & Love」は、リンの代名詞となるフレーズとなった。五輪のあった1972年と言えば、札幌五輪の直後に、連合赤軍によるあさま山荘事件が世間を賑わす、そんな時代だった。後にこの選手村の建物は、分譲マンションへと姿を変える。その時、壁に残っていたリンのサインについて、こんな声が上がった。

「その文字は、どうしても残して欲しい」

 他でもなく、その分譲マンションの持ち主の言葉だった。

 オリンピック憲章の根本原則には、こうある。
〈オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある〉(オリンピック憲章・根本原則・第6項目)

 世界中の国々の人々が一堂に会す“平和の祭典”を、これからも大切に見守りたい。

※1:第4回大会のロンドン(1908年)、戦禍を挟んだ第6回大会のアントワープ大会(1920年)で開催。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。近著「10・9 プロレスのいちばん熱い日」(スタンダーズ)が重版出来中。雑学にも通じており、「世界の国々 おもしろクイズ1000」(メイツ出版)においては、ほぼ全問を作成及び執筆している。

デイリー新潮編集部

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