プーチン大統領の前で“聖火が消えた”、ヒトラーを驚かせた12歳の日本人少女スケーター…「冬季五輪」の仰天エピソード

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「イナバウアー」は人の名

 選手、及び競技に移ろう。2006年トリノ五輪で女子フィギュア金メダルに輝いた荒川静香が見せた技、イナバウアーは、同年の年間流行語大賞に選ばれるほど話題を呼んだが、実はこの技、元々は人の名前である。1957年の世界選手権で同技を披露した西ドイツ代表の女性スケーター、イナ・バウアー選手の名前が、そのまま技名となったものなのだ。もっとも、イナバウアーは厳密に言えば、荒川静香のようにエビ反りとなる体勢を意味しているのではなく、元来は下半身の技。片足を曲げ、もう片方の足を後ろに引き伸ばし、更に両足のつま先が180度になるよう開いて横に滑る姿勢を言うのである。つまり、元よりこの技を習得していた荒川が、「ただ足を開いて滑るより、上半身を反った方が綺麗」と、五輪時に独自のアレンジを加えたのだった。よって、こちらは正式には「レイバック・イナバウアー」と言われる。

 補足すれば、スケートの技名は、それを披露した選手名がそのまま採られた例が少なくない。トリプル・アクセルは、ノルウェーの元選手、アクセル・パウルゼン、サルコウジャンプはスウェーデンの金メダリスト、ウルリッヒ・サルコウの名前から来ている。

 この荒川静香をはじめ、大会に参加した日本人選手の奮闘は枚挙に暇がないが、特に、女子選手活躍の嚆矢となったのが、1960年スコーバレー大会に出場した当時24歳の高見沢初枝だ。女子では初めて正式種目になったスピードスケートで次々に日本新記録を樹立。3000メートルでは一時、3位だったものの、最終組の選手が1位となり、メダル獲得ならず。悔し涙にむせんだ。

 2年後に同じ五輪に出た男子長距離の長久保文雄と結婚し、一時は引退するも、1964年のインスブルック大会で復帰。まだまだ女子の選手層が薄かった時期ゆえ、日本スケート連盟から要請されたのである。しかし、受諾した初枝も、内心、期するものがあったようだ。

 ところが渡航直前に妊娠が発覚。この事実を当時のオリンピック関係者には隠し、流産防止に子宮を安定させる黄体ホルモンを飲んで競技に臨んだ初枝は、4種目に出場。1000メートルでは転倒という、あわやの場面もあったが、因縁の3000メートルでは6位入賞。全種目が終わると、大会に主将として参加していた夫と抱き合って安泰を喜んだ。8カ月後には無事に長女を出産している。

 出場した外国人選手が日本から愛される例も。1956年のコルチナ・ダンペッツオ大会でアルペンスキー回転・大回転・滑降で金メダルを獲得した三冠王、トニー・ザイラーは、そのイケメンぶりから、後に俳優に転向。来日も果たし、日本映画「銀嶺の王者」(1960年)では主演として活躍。「若大将シリーズ」で、加山雄三とも共演している。タイトルは「アルプスの若大将」(1966年)。スキー部をモチーフにした作品だった。

 1972年の札幌五輪、フィギュアスケートで銅メダルを獲得したアメリカ代表のジャネット・リンは競技中、尻持ちをつきながらも笑顔を絶やさぬキュートさで“銀盤の妖精”、“サッポロの恋人”として人気になり、後に日本でもカルピスのCMに起用されるほどだった。98年の長野五輪にも、選手村に出店していた公式スポンサーのマクドナルドの招きで来日している。

「今でも覚えてくれているなんて」
「アメリカより日本の方が人気があるんです(笑)」
「メダルより、皆さんからの愛が大きな宝物」

 と、本人の愛らしさは変わらなかった。因みにリンは期間中、マクドナルドのスポークスパーソン的な役割も務めているが、これは、68年のフランス・グルノーブル五輪の際、ホームシックにかかった当時14歳の彼女のために、マクドナルドがアメリカからハンバーガーを空輸したことがきっかけだとか。こちらもスケールが巨大ながら、チャーミングなエピソードと言っていいかも知れない。

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