プーチン大統領の前で“聖火が消えた”、ヒトラーを驚かせた12歳の日本人少女スケーター…「冬季五輪」の仰天エピソード

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 聖火が消えたことがある。2013年10月6日、翌年にソチ五輪を控えたロシアでのことである。同国の名所「赤の広場」での聖火到着式典で、聖火ランナーが周回中、火がみるみるうちに小さくなり、遂には消えてしまった。すると、近くにいた警備員がライターを取り出し、再点火。式に立ち会っていたプーチン大統領の引きつった表情が忘れられない。

 ミラノ・コルティナ冬季五輪の盛り上がりがピークだ。実は、冬季五輪には、上記のような厳寒ゆえのハプニングはもとより、夏季五輪の後発の祭典らしく(※本文参照)、俄には信じ難い逸話が多数存在する。夏季とはまた違った特色も含め、ご紹介したい。進行中の本番と併せて楽しんで頂ければ幸いだ(文中敬称略)。

個人の家庭から、聖火を採ったことがあった

 そもそも冬季五輪が始まったのは、夏季五輪が初めて開催された1896年から28年後の1924年。驚くことに、フィギュアスケートはそれまで、夏の大会で行われていた(室内の人工リンクにて。※1)。その後、冬季競技への人気の高まりから件の1924年、フランス東部のシャモニーで第1回冬季五輪が開催されたとされている。とはいえ、実はこれも後付けの記録。当初、シャモニー大会は、あくまで国際冬季競技週間の行事として開催された。しかし、大成功を収めたため、翌年開かれたIOC総会で、この大会を第1回冬季五輪に認定することとなったのである。

 このような成立過程もあってか、冬季五輪は夏季と比べ、規則やルールの類いが厳しくなく、何かと“緩い”印象がある。言い換えれば、より自由なアレンジが許される大会となっている。例えば、聖火について。ギリシャのオリンピア遺跡で太陽光から採火されるのが本来の姿だが、1952年のノルウェー・オスロ冬季五輪の聖火は、個人宅の暖炉から採られた。この家はノルウェー人、ソンドレ・ノールハイムの生家で、特にスキー板の改良に腐心した人物として知られる。“競技スキーの父”とも呼ばれる彼に、敬意を払ったのだった。

 なお、1960年のスコーバレー(米)、1994年のリレハンメル(ノルウェー)における冬季五輪でも、このノールハイム家の暖炉から聖火が採られている。リレハンメルはオスロと同じ、ノルウェーでの開催だったこともあるが、その実、オリンピアからも採火されており、その2つを開会式の7日前に、合体させるという新奇な手法が採られていた。また、スコーバレー大会においては、開幕1カ月前にギリシャオリンピック委員会が、以下の告知をして来たことで、暖炉からの採火へと至っていた。

「採火式をおこなうのは、スケジュール的に無理です」(大意)

 冬季五輪らしいアバウトさと言えなくもない。

 また、競技会場に個人の土地を使用した例もある。前出のスコーバレーは、1949年にオープンした当初、リフトが1基しかない寂しいスキー場だった。しかし、所有者であるアレクサンダー・クッシングなる人物が五輪の招致活動に乗り出すと、何と1960年の開催地に決定。会場はクッシングが所有する土地がほとんどで、同氏は大金持ちに。さらに、同地は一転、世界的なスキーのメッカになったのだった。こんな成り行きも、冬季五輪の自由さの表れと言っていいだろう。

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