首都高で“カーチェイスを無断撮影”も…わずか2作で映画史に名を刻む「長谷川和彦監督」が語っていた「もう1本撮らないと死ねない」

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 映画監督の長谷川和彦さんが亡くなった(享年80)。たった2本の監督作品「青春の殺人者」(1976)、「太陽を盗んだ男」(1979)で、日本映画史に名を刻んだ監督である。ほかに、「性盗ねずみ小僧」「青春の蹉跌」などの脚本もあったが、結局、その後は1本も監督作品を手がけることなく、鬼籍に入ってしまった。豪快な人柄でも知られ、学生時代にアメリカンフットボールに打ち込む姿を先輩が「ゴジラそっくり」と評したのがきっかけで、「ゴジさん」の愛称がついた。

 そんな長谷川監督が、映画とは無関係の話題で、週刊新潮の特集記事で大きく取り上げられたことがあった。これがまた、いかにもゴジさんらしい話なのだが――まずその前に、どんな映画人だったのか、振り返っておこう。

デビュー作が、いきなり第1位に

 ゴジさんの母親は、1945年8月8日、原爆投下後の2日目に広島市に入って、被曝する。このとき、お腹のなかにいた胎児が、ゴジさんである。胎内被曝となり、1946年1月、現在の東広島市に生まれた。その後、広島大学教育学部附属高校から、東京大学文学部英文科へストレートで進んだ。大学時代は、前述のようにアメリカンフットボールに熱中した。

 映画も大好きで、在学中、「神々の深き欲望」(1968)のスタッフを募集していた今村昌平プロダクションに入社。そのまま学費未納で中途退学となった。その後、日活撮影所の契約助監督となり、藤田敏八や神代辰巳作品に助監督として付いた。

 1975年、ATG映画(今村プロなどとの共同製作)、「青春の殺人者」で監督デビュー。いきなりキネマ旬報ベストテンで第1位、ほかに監督賞、脚本賞(田村孟)、主演男優賞(水谷豊)、主演女優賞(原田美枝子)などを独占。新人監督としては異例の衝撃的デビュー作となった。この映画が当時、いかに驚きだったか、元スポーツ紙の映画担当記者に解説してもらった。

「中上健次の短編『蛇淫』が原作ですが、これは、千葉のエリート高校を卒業した若者が、風俗嬢との結婚に反対されたことに激高し、両親を刺殺した実在事件がモデルになっています。映画は、この事件を、大筋でほぼそのまま描いています。17歳の原田美枝子が服を着ない体当たり演技も話題になりましたが、驚いたのは、話が始まるや、いつの間にか父親(内田良平)が殺されている、独特の編集テンポでした。そして、その死体の処理をめぐって、母親(市原悦子)との奇妙にして凄絶なやり取りが、今度はえんえんと続くのです。興奮状態の水谷豊と、市原悦子の鬼気迫る錯乱ぶりは、これがほんとうに演技なのかと息苦しくなるほどでした」

 この年のキネ旬の助演女優賞は、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」で芸者ぼたんを演じた太地喜和子が受賞したが、市原悦子でもよかったのではとの声もあったそうだ。

「その場でアドリブ的に場面や設定を変えてしまう、変幻自在の演出も話題となりました。あとで脚本と照らし合わせてみたのですが、ここまで変えたり、場面を削除したりしてよいのかと、驚いたほどです。なにしろ、冒頭もラストシーンも、完全に“脚本無視”なのですから。さすがに田村孟さんが抗議したそうですが、それが脚本賞を受賞してしまい、苦笑していたとの噂も、ありました」

 この作品は、成田空港の開港を前にした千葉の周辺地域で、開発の波に取り残されたような一家と若者の、行き場のないモヤモヤ感が見事に描かれているとの声もあった。デビュー間もないゴダイゴの音楽も新鮮で、いまでいうミュージックビデオのようだった。

 そんな長谷川監督の第2作が、3年後の「太陽を盗んだ男」である。今度は、一転して、前代未聞の巨大スケール・アクション映画だった。

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