首都高で“カーチェイスを無断撮影”も…わずか2作で映画史に名を刻む「長谷川和彦監督」が語っていた「もう1本撮らないと死ねない」
「僕は普通の小市民ですよ」
それが、《八面六臂の「猶予」大活動の甲斐なく長谷川監督の「入獄」前夜》と題する記事である(1983年3月3日号)。上記の、事故から判決確定までの経過は、その記事で細かく報じられていた内容である。
当時、さっそく取材班は、ゴジさんに「入獄前夜の思い」をうかがうべく、取材を申し込んだが、ご本人は“行方不明”。仕方ないので、新宿ゴールデン街など、ご本人があらわれそうな店や、事務所、自宅などを、手分けして探すことになった。自宅担当になった記者Mさん(現在、60歳代後半)の回想。
「当時、ゴジさんは、世田谷・桜上水の団地にお住まいでした。のちに事実婚のパートナーとなる室井滋さんとは、まだ出会っていないころだと思います。部屋には灯りがついておらず、明らかに不在なので、夜8時ころからタクシーのなかで、張込みをはじめました。しかし、深夜零時をまわっても、帰ってこない。時折、近くの公衆電話から編集部へ電話を入れるのですが、ほかも、どこにも現れていないという。仕方ないので、徹夜覚悟で張込みを続けました」
そのまま、夜が明けても帰ってこなかったという。
「余談ですが、その団地のすぐ目の前に、わたしの出身高校があり、朝になると、ゾロゾロと生徒が登校してくる。なかには、部活でお世話になった顧問の先生がいて、タクシーのなかで身を潜めているわたしを見つけ、『Mクンじゃないか。こんな朝から、何やってるんだ』と驚いて声をかけてきたりして、説明に苦労しました」
結局、この取材では、ゴジさんはキャッチできなかった。だが幸い、高裁判決が出たときに取材したコメントがあったので、それを掲載した(以下、一部抜粋して再構成)。
〈「ここ何年かの自分の人生を左右するようなことが待っているかと思うときついですよ。映画は三年も撮っていない。元監督といわれたって仕方ないですよ。一年かけてディレクターズ・カンパニーを作り、これからやっていこうと思っていた時に…。僕は普通の小市民ですよ。アウトロー願望はもっていますが気弱な小市民なんです」〉
〈刑務所に入ってクルクル坊主にされて獄の中で何を考えればいいんですか。精神の限界を越えてパンクするのが怖い。見ず知らずの他人と雑居するのだ、と考えるとまた不安ですよ。市原(刑務所)が満杯だったら一般刑務所かも知れない。一般刑務所だと八割は暴力団だろうし…〉
と、早くも判決確定を見越したような弱気ぶりだった。かくして、ゴジさんは、「入獄」するのである(のちに「獄中記」を月刊誌に発表した)。ちなみに市原刑務所は、交通事犯を対象とした“交通刑務所”だが、この千葉県市原市とは、「青春の殺人者」の実在事件の舞台であり、映画がロケされた現場でもあった。奇しくもゴジさんは、デビュー作の“舞台”の地に収監されたのだ。
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