首都高で“カーチェイスを無断撮影”も…わずか2作で映画史に名を刻む「長谷川和彦監督」が語っていた「もう1本撮らないと死ねない」

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

懲役6か月の実刑判決が確定

 そんな長谷川和彦監督が、飲酒運転で衝突事故を起こしたのは、1981年12月のことだった。深夜まで呑み、自家用車を運転して帰宅途中、信号が赤になりかけた交差点を制限速度20キロオーバーで突っ切ろうとして、トラックと衝突。幸い人命事故には至らなかったが、相手の運転手に全治19日間のけがを負わせた。検査の結果、飲酒運転であることが判明。

 当初、ゴジさん側は、「罰金刑か、執行猶予付きですむだろう」と考えていた。相手の車も弁償し、治療費も払い、もう運転しませんとの上申書も提出した。

 だが、一審では、懲役8カ月の求刑に対し、「懲役6か月、執行猶予ナシ」の実刑判決。ゴジさんは青くなった。実はこの時期、ゴジさんは、大森一樹監督や井筒和幸監督らと、映画製作会社「ディレクターズ・カンパニー」の設立準備中で、ゴジさん自身が代表に就任する予定だったのだ。スポンサーの手前、これはたいへんまずい事態である。

 ところがゴジさんは、以前に酒気帯び運転やスピード違反で何度か検挙されていた。それどころか、反則金の滞納で罰金刑も喰らっている“前科4犯”だったのだ。それだけに裁判官の心証も悪く、「法廷ではサングラスをはずしなさい」と、お小言をいただくことも。

 もちろん、控訴した。同時に、すこしでも心証をよくしようと、交通遺児育英基金に30万円の寄付もした(交通事犯の常套手段)。しかし――控訴棄却。最高裁へ上告したが、これも棄却。1983年2月、ついに「懲役6か月、執行猶予ナシ」が確定したのである。

 このニュースを知って、長谷川和彦なる人物に、強烈な興味を抱いたのが、当時の週刊新潮の担当役員で、“新潮社の陰の天皇”などと称された、斎藤十一重役である。

「映画監督が刑務所に入るとは、どんな気分なのか、ぜひ聞いてみたい――というわけです。まさか斎藤重役が『太陽を盗んだ男』を観ているわけありませんから、新聞記事で、その人柄や業績を知り、興味を持ったようです」

次ページ:「僕は普通の小市民ですよ」

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[3/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。