薩摩でも長州でもない――明治新政府に優秀な実務官僚を最も多く送り込んだ「藩の名前」

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「薩長政治」という言葉があるように、明治新政府は薩摩藩と長州藩の出身者が中心となって運営していた。しかし一時期、両藩をしのぐ勢いで次々と優秀な実務官僚を輩出し、新政府の主導権を握った旧藩があった。

 はたして、その旧藩とはどこだったのか。熊本市出身の思想史家で、2022年に亡くなった渡辺京二氏の「幻の講演録」をまとめた新刊『私の幕末維新史』から、一部を再編集して紹介する。

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西郷さんの復活

 維新以降、明治新政府では多くの課題が山積みでした。新政府を支えた薩長土肥の4藩はそれぞれの藩の思惑があり、相互に不信感がありました。こうした対立感情を解消し、強力な中央政府を築くことが新政府の重要な課題でした。

 そのため、明治3(1870)年12月、大久保利通が西郷さんを再び引き出しに行きます。そして翌年6月、西郷さんは重い腰を渋々上げて明治政府の指導者のひとり、参議に就任するのです。

 その年7月に廃藩置県も実施されますが、西郷さんもこれに賛成し、それを進める大きな原動力となります。

遣欧使節組と留守政府組

 11月には岩倉使節団がヨーロッパに派遣されるわけですが、これが大きな分かれ道となりました。海外に出向く使節団と留守を守る政府とで、新政府の主要メンバーが二分されたわけです。岩倉使節団には、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らを始めとして、新進気鋭の者も含めて約百名が参加しました。西郷さんは留守政府の主要メンバーとして、三条実美、板垣退助、大隈重信らと共に国内の政務を預かりました。

 廃藩置県後に再編された太政官政府というのは、三条が太政大臣、岩倉が右大臣、左大臣は空席という体制でした。形式上はお公家さんを頂いて、太政大臣と右大臣が天皇を補佐して最高責任者として政治を行うというかたちでした。

 しかし実際は西郷、木戸、板垣、大隈の参議が実務を主導して進められていました。建前では参議というのは太政大臣や右大臣を補佐し、相談役となる役職でしたが、現実には彼らが実権を握っていたのです。4人の参議を見ると、西郷は薩摩、木戸は長州、板垣は土佐、大隈は肥前をそれぞれ代表していて、4藩のバランスが取られています。

 一方、大久保は参議ではなく、大蔵卿という重要な役職を務めていました。つまり大臣が本来3人必要なところ当時は2人しかおらず、参議が4人、その下に各省が配置されていました。

 各省の長官は「卿」と呼ばれ、外務卿や大蔵卿などの役職がありました。この卿が参議を兼任する場合もあれば、兼任しない場合もあります。また、伊藤は工部大輔(たいふ)で、次官クラスの役職にありました。卿が公家の場合、大輔が実権を握ることもあり、場合によっては卿を置かず大輔だけを配置することもありました。

「実務」に強い佐賀出身者

 当時、留守政府と使節団の間には約束がありました。それは、使節団が海外を回っている間、留守政府は新しい重要な政策や重大な制度変更を行わないというものでした。しかし、いろいろな必要もあり思惑もあったでしょうが、実際にはその約束は守られず、岩倉、大久保、木戸、伊藤が海外を回っている間に、留守政府ではさまざまな新しいことをやったわけです。

 参議の構成も変化しました。当初は4人でしたが、明治6(1873)年四月には佐賀の江藤新平と大木喬任(たかとう)、土佐の後藤象二郎が加わり、江藤は司法卿、大木は文部卿を務めました。後に大久保が海外から帰国して参議に就任した際、佐賀の副島種臣(そえじまたねおみ)も参議となりました。すなわち佐賀閥、肥前閥が大きく勢力を伸ばしてきたわけです。

 その背景として、新政府というものは行うべき実務がたくさんあります。たとえば、税制をどうするか、予算をどう編成するか、学校制度をどう整備するか、さらには軍隊の運営をどうするかといった、体的で現実的な課題に取り組む必要があります。この「実務」の才能は、革命を成し得るそれとは性質が異なるものです。

「蘭学」と「富国強兵」策の伝統

 たとえば、西郷のような人は政治の情勢を見て、政治的な芝居を打つ能力には長けていますが、官僚的な実務をこなす能力はあまりないでしょう。実務官僚としての能力を持つ人物はなかなか少ないなかで、肥前藩は特筆すべき存在でした。幕末から蘭学をいち早く取り入れ、いわゆる「富国強兵」策を実践してきた地域であり、優秀な実務官僚を多く出しているところです。

 その代表が大隈重信と江藤新平であります。大隈重信は特に実務能力に秀でていました。財政や外交問題に明るく、英語はあまり達者ではなかったようですが、「大風呂敷」と称されるほどの大胆さと交渉力を持ち、イギリス公使パークスとも理屈をこねて渡り合うことができました。このような実務能力を持つ大隈を中心とした肥前閥が、新政府で重要な役割を果たすこととなったのです。

※本記事は、渡辺京二著『私の幕末維新史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

渡辺京二(わたなべ・きょうじ)
1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)、『日本近世の起源』、『江戸という幻景』、『黒船前夜』(大佛次郎賞)、『未踏の野を過ぎて』、『もうひとつのこの世』、『万象の訪れ』、『幻影の明治』、『無名の人生』、『日本詩歌思出草』、『バテレンの世紀』(読売文学賞)、『小さきものの近代』他。2022年没。

デイリー新潮編集部

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