「シャバにいる私の方が精神的に支配されていくような…」 逃亡15年「福田和子」の担当編集者が見た殺人犯の顔

国内 社会

  • ブックマーク

 15年近い逃亡生活を送るも、公訴時効が成立するわずか21日前に逮捕された福田和子受刑者(享年57)が獄中で病死してから、早20年が経過した。生前の福田が唯一出版した手記の担当編集者が、面会と手紙を通じて垣間見た“殺人犯”の素顔とは。

 ***

「どこにでもいる普通のおばさん」

 ボールペンの走り書きでつづられた手紙にはこうある。

〈東京の桜はいかがですか。私は逃亡生活の中では一度しかお花見をしていません。(中略)夜空を舞いながら落ちる桜、あれは自身の行く末をうらなうような哀しい乱舞のようで〉

 逃亡中に感じた桜の花びらに対する思いをつづった手紙を受け取ったのは、当時、扶桑社の書籍編集部長だった平田静子さん(77)。検閲マークが付されたこの手紙の送り主は福田和子である。

 同僚ホステスを絞殺し家財道具一式を奪った、1982年の「松山ホステス殺人事件」の容疑者として、指名手配中の福田が逮捕されたのは97年7月のこと。美容整形を繰り返しながら逃亡した福田を、メディアは“七つの顔を持つ女”と形容した。

 平田さんは独自のルートで、逮捕後、松山拘置所に勾留されていた福田に接触。99年8月に出版された唯一の手記『涙の谷 私の逃亡、十四年と十一ヵ月十日』(扶桑社)の担当編集を務めることになる。

「初めて面会した福田は、一見どこにでもいる普通のおばさんでした。面会時間が終わりに近づいてきた頃、あらためて“うちから手記を出していただけませんか”と切り出しました」(平田さん)

 すると福田は「本か、ええかもしれないね」と呟いたという。ところが退室間際、

「彼女は閉めかけたドアをちょっと開けて“でも、決めたわけじゃないけんね”と言い残し、バタンとドアを閉めたのです。“触れなば落ちん”という言葉がありますが、福田は落ちそうで落ちない、そうやって人の心を引きつけ水商売の世界で人気を得ていたのだな、と実感しました」(同)

一筋縄にはいかない“パートナー”

 以来、面会や手紙のやりとりを重ね、福田を口説き落とすも、平田さんにとって福田は一筋縄にはいかない“パートナー”だった。

「彼女は逮捕されるのを覚悟で福井のおでん屋に立ち寄ったと主張し、その心情を理解していないと私を責め立てたことがありました」(平田さん)

 当時の福田の手紙には、

〈平田さんが逃亡者の背中が見えなかったところがとても残念です!〉

 とある。別の手紙では、

〈後21日なのに、どうして、自分から身を投げたのか、色々あるけど私は福田和子に戻りたかんですよ。きっと!〉(註:原文ママ)

 そう訴えている。

「福田は『羊たちの沈黙』のレクター博士のような存在でした。彼女自身は捕らわれの身でありながら、シャバにいる私の方が精神的に支配されていくような感覚を覚えた。編集作業が大詰めを迎えた頃、“タイトルはどうしましょうか?”と手紙で問いかけると、“原稿の中にヒントがあるから、読み返して”と突き返されあぜんとしたことも」(同)

次ページ:乙女チックな一面

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。