【平成最凶の事件簿2】池袋通り魔殺人、8人を死傷させた「造田博」のどす黒い殺意

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 平成時代には様々な凶悪事件が起こった。中でも、特定の人物や集団を狙うのではなく、繁華街などの屋外で標的が無差別という防ぎようのない「通り魔殺人」は、平成時代に8つも発生している。死亡者が多いのは平成20年6月の「秋葉原」の7人、次いで11年9月の「下関」の5人だが、それらの犯人にも影響を与えたと言われる「平成通り魔」の嚆矢が、「池袋通り魔殺人」である。小渕恵三第2次改造内閣が誕生するひと月前の惨劇だった。

 犯人・造田博は当時23歳。東京都足立区に住む新聞配達員だった。岡山県倉敷市で生まれ育った造田は、両親がギャンブルで4千万円もの借金を抱え身をくらました後、高校を中退。借金取りが脅しに訪れる家を捨て、弁当販売店のアルバイト、パチンコ店店員、造船所の塗装工、住宅美装会社など、判明しているだけでも14回の転職を繰り返した。

 黒いデイパックひとつ、携帯用CDプレーヤーとわずかな着替えしか所持していなかった造田は、事件当時、陽の射し込まない木造一軒家2階の一間に間借りしていた。午前3時出勤、午後8時半に仕事を終える。このあたりの境遇は中上健次の『十九歳の地図』の主人公と類似しており、造田が同書を愛読していたという報道もあった。

 11年9月4日午前3時を最後に、造田はこの部屋に戻ることはなかった。同事件を始め9つの殺人をルポした『殺ったのはおまえだ』によると、部屋には次のような造田自筆の張り紙、そして走り書きが残されていたという(以下、引用は同書より)。

「アホ全部殺すけえのお」

〈わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。わしもボケナスのアホ全部殺すけえのお〉
〈努力しない人間は生きていてもしょうがない〉

 造田はそれ以前、外務省、国会、裁判所、警視庁などの公機関に100を超える手紙を送りつけてもいる。いずれも自らの住所や氏名も偽らずに記し、理解しがたい内容だが、不穏な「憎悪」は感じ取れるだろう。キーワードは「小汚い者達」だ。

〈日本の人口のほとんどが小汚い者達です〉
〈この小汚い者達は60年後、2057年にはすべて存在しなくなります〉
〈この小汚い者達から存在、物質、生物、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪(はくだつ)する。これは存在するものでもなく、物でもなく、生物でもなく、動物でもなく、人間でもなく、何をやってもいい、何も許さないという意味だ〉

 平成11年9月8日、午前11時35分。都心の気温は30度を超え、空は薄曇りだった。造田はサンシャインシティへ続く地下通路からエスカレーターで地上へ。東急ハンズ正面入口に出ると、黒いデイパックから、4日前に同店で購入した包丁と金づちを取り出した。右手に包丁を、左手に金づちを握ったその姿は、水曜日の昼の繁華街にはさぞ異様だったろう。

「むかついた。ぶっ殺す」

 そう唸(うな)りながら、エスカレーターで上がって来た老夫婦に突進していったのである。1人目の被害者は、電気製品を買いに来た66歳の女性だった。

〈(女性の)左後方から近づき、「ぶっ殺す」と口走りながら、その左胸部に、右手に握った包丁を突き出した。(刺された女性は)前のめりになってよろめき、その場に、左半身から崩れ落ちるようにうずくまり、まもなく仰向けに倒れた〉

 東急ハンズ入口前の白いタイルに鮮血が広がる。ほぼ即死だった。

 続いて71歳の夫の頭部に金づちを何度も振り下ろし、右手に包丁を突き刺している。このとき、包丁の刃先が折れ、男性の右前腕部にめり込んだ。間髪入れず造田は、異変に気が付き騒然とし始めた群衆に向けて走り出す。

 2人目の犠牲者は、夫(34)と連れ立ってサンシャインシティ内の「パスポートセンター」に向かっていた29歳の女性だった。帰りには館内の水族館に寄ることも話し合っていたという。正面から向かってくる造田の姿を確認すると、女性は身体(からだ)を右側に捻(ひね)るようにして逃げようとした。その左腰部に造田の持つ、切っ先が欠けた包丁が突き刺さった。

〈駆けつけたパチンコ店の店員が慄(おのの)いたように「背中切れてますよ」と言った。夫が女性の黒いカットソーの裂け目をめくると、相当深い傷口が見え、そこからは骨が覗(のぞ)いていた。妻の身に起こった事態のすべてにようやく想到し、全身の血の毛がひいた〉

 司法解剖の結果、わかったことだが、傷は16センチの深さに達していた。

〈(出血はほとんど見られなかったが)肝臓や腎臓(じんぞう)が刺し貫かれていた。そこからの出血は、あまり表皮へ流れることがなく、女性の体内にめぐるように酷(むご)いほどの速さで充満していた〉

 女性に背を向けた造田は、喚(わめ)き散らし包丁を袈裟懸けに振り回しながら、池袋駅方面に駆けて行った。2学期の始業式を終えたばかりの高校1年生の4人組に背後から斬りつけ、さらに歩行者数人を襲った後、通行人たちに取り押さえられた。14年1月、東京地裁で死刑判決。控訴、上告したものの、19年4月には最高裁で死刑が確定。

 搬送先の病院で29歳の女性の死亡が確認されたのは、午後4時20分だった。輸血された血液は1万3千cc。全身の血液が3回入れ替わる量に相当する。

 不条理極まりない惨劇だった。前掲の『殺ったのはおまえだ』で、女性の夫は苦しい胸の内を吐露している。

〈なぜ、あの日あのとき、あの場所にいてしまったのか。人を殺(あや)めると決めながら、4日間も逡巡(しゅんじゅん)していた男の前に、どうして、あの瞬間に遭遇しなければならなかったのか……〉

デイリー新潮編集部

2019年3月29日掲載

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