全てのはじまりは「電話ボックス」に置かれた「コーラ瓶」…1977年の新年に日本を騒然とさせた無差別殺人「毒入りコーラ事件」の全貌

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 令和8年を迎えた。昭和からは101年目……連載では様々な事件を取り上げてきたが、常にキーワードになるのが「昭和と今の違い」。携帯電話が普及し、通信手段も格段に増加、主要な繁華街や住宅街はいたるところに防犯カメラが設置され、警察の初動対応能力も遥かに向上した。しかし、事件の起きた「昭和」の時代はどうだったのか……。今回、取り上げるのは、「毒入りの飲食物を街中に置き、不特定多数の人物の殺害を企てる」という、決して許されない極悪非道の犯罪である。そのキーワードは、これも姿を消しつつある公衆電話と瓶入り飲料だ。(全2回の第1回)

電話ボックスに…

 中央区日本橋から横浜市西区を結ぶ第一京浜(国道15号)の交通量は大変なものだが、毎年1月2~3日に開催される箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)のコースとしても知られる。多くの観客が沿道に詰めかけ、小旗を振りながら応援する様子は正月の風物詩として定着している。

 昭和52(1977)年1月3日。箱根駅伝の復路も終わり、正月ということもあってめっきり交通量の少ない、国電(当時)品川駅近くの第一京浜沿いにある電話ボックスから事件は幕を開ける――。

 港区高輪の品川スケートセンター前に、公衆電話ボックスがあった。横浜市に住む会社員Aさん(53)は家族と一緒に友人と待ち合わせをしていた。午後7時半過ぎ、あまりに寒いので、この電話ボックスに入ると、足元にコーラの瓶がある。Aさんが「飲もうか」と手を出したが、家族から「やめなさいよ」と言われ、手を引っ込めた。

 大学生のBさん(19)は午後10時ごろ、友人に電話をかけようと、このボックスに立ち寄った。だが、若い男性が話し中。別の公衆電話に行こうとボックスの中を見ると、電話中の男性の足もとにコーラの瓶があった。約1時間後の午後11時10分ごろ、スキー帰りの中学生(14)が友人へ電話しようと電話ボックスに入り、コーラを見つけた。左手で持ち上げると「プシュッ」という音とともに中身が一部、漏れた。ついた指をなめると、変な苦みがした。おかしいと思い、飲むのは止めた(第一現場)。

 このボックスから新橋方面へ750メートルほどの場所にも公衆電話ボックスがある。近くに住むC子さん(43)は午後9時50分ごろ、年始回りの帰りにボックスわきでタクシーから降りた。その際、ボックスの床の部分がキラキラと白く光って見えた(第二現場)。

 さらに、第二現場のボックスから第一京浜を挟んだ品川区北品川にある商店街。近くに住む会社員Dさん(21)は午後9時半ごろ、郷里から車で戻り、近所の銭湯に出掛けた。しかし正月で休業中。仕方なく帰宅する途中、商店街の店先にある赤電話(公衆電話)台の中台に、栓をしたコーラ瓶があった。持ち帰って飲もうかと思ったが、寒い夜なのでやめ、まっすぐアパートに帰った(第三現場)。

 そして、翌4日未明――。

 午前零時ごろ、第一現場近くを6人の若者が歩いていた。新幹線車内アルバイトで、大阪から「こだま」に乗り、午後11時24分、東京駅に到着。品川駅まで移動してそこから徒歩で寮へ戻る途中だった。女性アルバイト(18)が電話ボックスに十円玉が落ちているのを見つけた。拾うために中に入ると、コーラの瓶が横に倒れて置いてある。それも拾い、男子アルバイト(19)に「飲まない?」と渡したが、彼は断り、同じくアルバイトの高校1年生Z君(16)が受け取った。

 Z君は寮に戻り、風呂に入ったあとで同僚と食堂でさきほどのコーラを飲んだ。一口飲んで「腐っている!」と吐き出し、2~3分後に意識不明になった。

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