全てのはじまりは「電話ボックス」に置かれた「コーラ瓶」…1977年の新年に日本を騒然とさせた無差別殺人「毒入りコーラ事件」の全貌

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無差別殺人

 寮の管理人は深夜に起こされ、食堂に行ってみると、Z君が「食堂の入り口に両こぶしを握ったかっこうで、うつぶせに倒れ」(毎日新聞 昭和52年1月5日付)ており、慌てて救急車を呼んだという。Z君は病院に搬送されたが4日午前7時半過ぎ、死亡。遺体は体全体がピンク色に染まるなど、青酸中毒特有の症状がみられ、コーラ瓶の口からも青酸反応が出た。のちの解剖で、体内から青酸ナトリウムが検出された。

「アオが出た!」――警察では青酸を隠語で「アオ」と呼ぶ。現場の状況から無差別殺人の可能性が高いこともあり、警視庁捜査第一課は高輪署に捜査本部を設置、機動捜査隊などの応援を得て、現場周辺の検索・捜査に当たった。

 すると、同じ4日午前8時15分ごろ、第二現場近くの路上に男性が倒れているのが発見されていたことが分かった。病院に搬送したが、すでに死亡しており、状況から行き倒れではないかと思われたが、入念に調べると遺体から青酸反応が出た。身元は指紋から山口県の無職Yさん(46)と分かった。遺体から第二現場のボックスへ100メートルほどいった所に7分目まで飲んだコーラの瓶が、そしてボックス内にはコーラをこぼした跡があり、いずれも青酸反応が出た。Yさんはボックス内にあったコーラを持ち出し、道路わきのガードレールで栓を開けて飲み、その場で吐いていたことがわかった。そして、そこから85メートルほど歩き、絶命したと見られる。

 警視庁のその後の調べによると、Yさんは地元の県立高校を卒業後、20年前には妻子と別れ、15年前に大阪を経由して横浜寿町の簡易旅館に泊まり、東京・山谷地区に仕事を求め、40キロほど歩いて通っていた。当日の所持金は25円。

〈解剖結果だと心臓肥大で肝臓病。動脈硬化もひどく、慢性のアル中だった。おまけに、胃の中は空っぽで、やたらに水ばかり。正月三が日を水だけで過ごし、ようやく、ありついた道端のコーラは、不運にも毒入り〉(毎日新聞 昭和52年1月9日付)

 ――1月4日に戻る。

 第三現場近くに勤務先のある会社員男性Eさん(64)は、この日が仕事始め。お酒を飲み、ほろ酔い加減で午後零時過ぎに退社。第三現場の赤電話で自宅に電話をかけようとした際、コーラの瓶が置いてあるのが目に入った。飲もうと思い、手にしたが栓抜きがない。仕方がないとあきらめた。正午近く、現場を通りかかった小学生はコーラを飲もうと栓を開けようとしたら簡単に外れたので「変だな」と思い、元の場所に戻した。

 午後零時50分頃、近くに住む男子中学生(14)は、同居する祖母から、近くに住む知り合いの家で1万円札をくずしてくるように頼まれ、家を出て第三現場を通りかかった。コーラ瓶がある。喉が渇いていたので、思わず手に取ろうとしたが、お使いを優先させようと我慢した。

 約10分後、帰りに同じ場所を通りがかると、覆面パトカーが停まり、捜査員や警察官が大勢いた。警戒中の機動捜査隊員がコーラ瓶を発見、押収していた。後に、青酸入りと判明する。高校受験を間近に控えた中学生にとって、まさに、危機一髪の出来事だった。

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