「浪人時代の年収はいまで言うと1000万円」 上皇陛下の執刀医が語るアルバイトのススメ 「外科医としての力量のベースは、パチンコ」
日給10万円
〈2浪中に成人した天野氏は、さまざまなアルバイトを経験する。〉
埼玉の大宮市民会館で「8時だョ!全員集合」の収録が定期的にあったんですけど、時々駆り出されてその大道具係をしていました。木で作ったセットを大工さんが使う鎹(かすがい)で組むんです。2~3カ月に1回ぐらい行ってました。
実は浪人してすぐに、所沢の死体洗いの話も聞きつけましてね。時はベトナム戦争の真っ最中。戦地から次々と運ばれてくる米兵の死体は沖縄では収まらず、遠く所沢の米軍基地にも溢れていたんです。
人づてに聞いた仕事内容は、傷をきれいに清めて、傷口を塞いだり手当てしたりして、星条旗でくるんで棺に入れる。報酬は1体につき3万5000円。当時のサラリーマン初任給の3分の1という破格の待遇でした。
ただ、これはやりませんでした。より高額なアルバイトが見つかったので。それが、新設される筑波研究学園都市の教職員宿舎のユニットバス取り付けでした。以前から建築に興味を持っていたことも、こちらを選んだ理由の一つです。
確か4階建てで、ユニットを浴室に置いてくるだけ。それで1個につき5万円も貰えたんですよ。2人一組で1日に頑張れば4個運べるので、日給10万円になります。
もっとも、この仕事は車が必要で、しかも未舗装のぬかるんだ道を走るからタイヤチェーンを持っていなきゃいけない。その費用と交通費が持ち出しで、予備校に通う体力も削られるので短期で辞めました。
〈大学に進学してからも、定番の家庭教師だけでなく、車を使ったアルバイトに勤しんだ。〉
ちょうど、ヤマトの宅急便が始まったんですよ。当時、スカイラインジャパンというフルフラットシートになる車に乗っていたので、そこに荷物を100個ほど積み込んで宅配する。埼玉の浦和地区を回っていました。それで1日1万円から1万2000円ぐらい。
敵は犬です。吠えられてね。あと、みかん箱。重いから。山本山の海苔なら軽いからいくらでも持てるんですけど、みかん箱は1個しか持てない。
届けると必ず御礼を言われるんですよ。「ご苦労さん」とかって。それにご老人の夫婦だったりすると、たまに小遣いを貰えました。10軒から100円貰えると1000円になるから、馬鹿になりません。
楽しみはうなぎ
〈天野氏は昨今の医学部生の仕事観にも疑問を呈する。なんでも最近の医学部生は研修医になると、あまりの激務に嫌気がさすそうだ。高校の同級生が起業して成功するのを見ると、医学の道をあっさりドロップアウト。ベンチャー企業立ち上げに名義を貸すなどして、たちどころに巨万の富を築く人もいるのだという。なぜそうなるのか。天野氏は、原因を現代の若者のアルバイト経験の少なさと見る。〉
自分の職場にプライドを持つことが重要だと再認識してほしいという思いが根幹にあります。このことが、働く意義を知る入り口なのですから。
私の場合は、研修医になると、アルバイトで病院回りをやりました。今は法律が変わって、2年間はアルバイトができなくなってしまったんですが、昔はできたんです。半年間、麻酔科を回って、注射と、痛みをとることを覚えて。外科も回って、切開とか消毒とかを身につけて。
バイト先は都内の銀座や渋谷にある病院の救急外来。ある意味で武者修行でした。研修医として給料を貰ってたのになぜアルバイトに行くのか? チヤホヤされるんですよ(笑)。看護師さんとか事務職員に。自分が正規で働いている病院だと一番下っ端じゃないですか。その立場が急に変わっていい気持ちになるわけです。それから、本来はまずい病院食を食べなきゃいけないんですけど、アルバイト先の院長が気を遣ってくれて、例えばうなぎとかを食べさせてくれるんですよ。それが楽しみで通ってましたね。
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