コカイン逮捕、長男の過失致死事件…「世界のクロサワ」との衝突で運命が暗転した「勝新太郎」波乱の役者人生

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 記憶に残る「揉め事」を現代の視点で振り返る「揉め事の研究」。前編【「銀幕の大スター」と「世界的監督」が撮影直後に“激突”…故・仲代達矢さんの代表作になった「影武者」をめぐる騒動とは】では、映画「影武者」の撮影開始前夜までの不穏な空気をお伝えした。後編の今回では、勝新太郎と黒澤明の撮影現場における衝突とその後の二人の人生を見て行こう。(全2回の第2回)【篠原章/批評家】

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黒澤を尊敬していた勝新太郎

 1979年6月26日、「影武者」はいよいよクランクインしたが、勝が参加したのは7月17日のリハーサルからだ。

 長きにわたり黒澤の右腕だった野上照代(スクリプター、アシスタント・プロデューサー)の回想(前出『週刊新潮』2016年3月3日号より)。

「(7月17日のリハーサルで)勝は用意された台詞をわざとそのまま言わないんです。俺はこう言いたいんだという感じで、黒澤さんが何回注意しても直らなかった」

 勝には勝の思いがある。

 1971年に公開された、勝にとって初の監督作「顔役」は、黒澤の傑作「野良犬」(1949年)に触発されて生まれた刑事ものの現代劇で、勝が自信をもって世に送りだした作品だった。ロケ先では、暴力団(山口組系菅谷組組長・菅谷政雄)の協力を得たり、風俗嬢の協力を得たりと、ホンモノに拘った撮影・演出を試みている。「顔役」の脚本は勝と菊島隆三、「野良犬」のそれは黒澤と菊島。勝が菊島を起用したのは「野良犬」に感激したからだ。ついでいうと、「野良犬」は三船敏郎と志村喬の刑事コンビがメインキャスト、「顔役」は勝と前田吟の刑事コンビがメインキャストである。

 勝自身は、「野良犬」に匹敵するか、それを超える映画を撮ったつもりでいたに違いない。いってみれば、黒澤映画に始まる日本の刑事ものドラマの延長線上にある無頼派バージョンだった。「野良犬」は日本における刑事ものドラマの仕立てにきわめて大きな影響を与えたが、時代劇に新風を吹き込んだ自分だったら、刑事ものドラマの世界でも黒澤と同じように嵐を巻き起こせるに違いない、と勝は確信していたと思う。たしかに、いま見ても映像もストーリーも斬新であり、掛け値なしの傑作だ。

 勝のこうした思いに反して、肯定的・積極的な評価は見られたものの、「顔役」は興行的にはパッとしなかった。当時の勝のパブリック・イメージはあくまで「座頭の市」であり、「刑事もの」と聞いても、大半の勝新ファンにはピンと来なかったから、劇場に足を運ばなくともやむをえない。だが、勝にとってはショックだったはずだ。「顔役」で、「野良犬」同様の新境地を切り開けなかった、という勝の無念さは、1970年代を通して続いていた。

 失意のなかにあった勝に、尊敬してやまない黒澤からのオファーは、とても大きな救いだったことは想像に難くない。黒澤が勝の「顔役」を観ていなかった可能性は高いが、勝にしてみればそれでも構わなかった。「嬉しくてしょうがないんだ」(野上に語った勝の言葉)という状態だった。

「影武者」がクランクインすると、「『野良犬』で憧れた黒澤と一緒に仕事ができる」という勝の喜びが空回りしてしまう。そんな時期に、「あの事件」は起こった。

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