コカイン逮捕、長男の過失致死事件…「世界のクロサワ」との衝突で運命が暗転した「勝新太郎」波乱の役者人生

  • ブックマーク

「余計なことをするんじゃない」

 再び野上の回想を引用する(前出『週刊新潮』より)。

「(7月18日の雨の日)勝が朝早くから来ているというのでメイク室に向かうと、山田かつら店の社長が“無理だ、ダメだ”と言っているのが聞こえる。勝は、自分の演技を確認したいからカメラを回すと言っていました。そして“俺は自分で言ってくる”と、監督がいるセットに向かったので、私は追いかけました。勝は椅子に座っている監督にしゃがみ込んで話していましたが、あとで黒澤さんに聞くと、しばらくして意図がわかって、勝を“余計なことをするんじゃない”と一喝したそうです。怒った勝は、立ち上がって出て行きました」

「(野上が勝の後を追うと)雨の中、番傘をバサッと投げ捨て、衣裳部屋に向かって行きました。その後のことは(共演者の)根津甚八から聞きましたが、“勝が衣装を脱ぎ捨てたので、トイレにでも行くのかと思ったけど、カンカンに怒っていて、カツラまでむしり取ったので何かあったと思った”とのことでした。衣裳部屋を出た勝は乗ってきたワゴン車に乗り込み、しばらく動かなかった。田中友幸プロデューサーが宥(なだ)めていて、私がその様子を黒澤さんに報告したら、“もういい、俺が行くから”と。黒澤さんはワゴン車に乗り込むと、非常に冷静に“勝君がそうならやめてもらうしかない”と言いました。勝は立ち上がって黒澤さんに掴みかかろうとし、田中さんが“勝君、それはいけない!”と羽交い締めにして、まさに松の廊下でした」

 この一件で勝は自ら主演を降り(黒澤に降ろされた、という見方も可能)、勝の「影武者」は終わった。マスメディアは、これを挙って報道し、読者・視聴者は「黒澤に分があるのか、勝に分があるのか」を探ろうとした。が、メディアの多くは「勝のわがまま」に原因を求める報道姿勢をとった。そのせいで「天下の勝新」が、「世界のクロサワ」を傷つけたかのような印象が広がった。

映画は大ヒット

 そもそも当時、世間の勝への見方は必ずしも優しいものばかりではなかった。

 その前年(1978年)の5月には、マネージャーと弟子の酒井修が麻薬取締法違反(アヘン所持容疑)で逮捕され、勝自身も書類送検されている。記者会見では「イランの貴族から贈られた仏像のなかにアヘンが入っており、芸能人・歌手の大麻摘発案件(研ナオコ、内田裕也、ジョー山中、井上陽水など)が続発していたため、念のためマネージャーと弟子に処分を頼んだだけ」と釈明していた。

 最終的に勝は不起訴となったものの、このアヘン事件のせいで、放映中だったフジテレビ系「新・座頭市」(第2シリーズ)も放送打ち切りになった。翌年4月に「新・座頭市」(第3シリーズ)は再開されたが、「影武者」降板劇の影響もあり、勝に対する世間のネガティブなイメージ(「揉め事が多い人だな」という印象)は、この1970年代末を始点としてしだいに膨らんでいった。

「影武者」で勝の代役に選ばれたのは仲代達矢だった。仲代の演じきった「影武者」は、1980年4月に公開され、勝の降板が大きな話題になったせいか、1980年の邦画では最高額となる興行収入27億円と大ヒットを記録。また同年カンヌ映画祭のパルムドールも獲得している。

 ただし、これによって、当初から目論まれていた黒澤の「乱」の製作が可能になったかといえば、そうではない。フランスから資金提供の申し出があったものの、フランス外為法の改定など制度的な理由で困難になり、紆余曲折を経て製作・公開はなんとか可能となったとはいえ、製作費26億円に対して1985年公開時の興行収入は17億円弱と大幅な赤字を出している。

次ページ:トラブルに見舞われ続けた

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。