コカイン逮捕、長男の過失致死事件…「世界のクロサワ」との衝突で運命が暗転した「勝新太郎」波乱の役者人生
トラブルに見舞われ続けた
降板でケチがついたわけではないのだろうが、その後も勝はトラブルに見舞われ続ける。
以下では、「『影武者』降板事件」以後の勝の動きを振り返ってみたい。
1980年10月には、日本テレビ系で勝の主演・監督による「警視-K」が始まった。勝には「刑事もの現代劇を成功させて、黒澤を見返したい」という思いは強かった。共演者に、川谷拓三、小池朝雄、奥村真粧美(勝の娘)を配し、ゲスト出演者に、緒形拳、佐藤慶、原田芳雄、石橋蓮司、小林稔侍、松尾嘉代、ジュディ・オング、原田美枝子を迎えるなど、勝の意欲が強く感じられるシリーズで、独特のカメラワーク、脚本に頼らずアドリブを重視した台詞廻しが評判となった。もっとも、アドリブについては「警視-K」以前から勝作品にはつきものだったが、それは主として勝が絡む場面に限られており、「警視-K」の場合、勝が登場しない場面も含めて役者自身が台詞を考えなければならない場面が頻繁となった。
ところが、この「警視-K」も十分な視聴率をあげられなかった。初回は勝の新作への期待からか12%超を記録したが、2回目以降は4%前後と視聴率は低迷し続けた。それどころか、「台詞が聞こえない」「ストーリーが難解だ」といった苦情が日本テレビに殺到したという。そのせいで、「警視-K」は、予定の2クールまで製作できず、1クール(当時はワンクールは13回)で放映打ち切りになってしまった。
以後、勝の出演作・監督作が評判になることも減って、世間的には「トラブルの帝王」という印象が付いてまわることになる。
まず、1981年には、1967年に自ら起ち上げた製作会社・勝プロダクションが12億円の負債を抱えたまま倒産の憂き目に遭う。主たる原因は、経費を気にせず納得いくまで作品づくりに打ち込んできた勝の製作方針にあるが、この倒産をきっかけに、勝にとって不幸な出来事が続いていく。
まもなく、勝と中村玉緒のあいだに生まれた二人の子供、奥村真粧美と奥村雄大が大麻取締法違反容疑で逮捕されたほか(雄大は1984年にも同法違反容疑で再び逮捕)、世界的に大ヒットを記録したオーストラリアの映画「マッドマックス」(1979年)のプロデューサーだったバイロン・ケネディ(「兵隊やくざ」のファンだったという)が、勝に持ちかけた新作映画の企画が思わぬ事故で中止を余儀なくされてしまった。バイロン自身が操縦するヘリコプターが1983年7月17日に墜落し(バイロンは死亡)、企画がボツになってしまったのである。また、自分の後継者を育てようと1980年に華々しく開校した俳優学校・勝アカデミーも翌年11月には閉校に追いこまれた。なお、勝アカデミーからは、小堺一機、ルー大柴などが輩出されている。
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