台湾の「シリコンシールド」は中国の圧力を跳ね返せるか――東大教授が考える「経済が武器化する時代の戦略思考」
高市早苗首相の国会答弁に中国が猛反発したことで、台湾有事への関心がかつてなく高まっている。中国は武力による台湾併合の可能性を排除しておらず、近年の習近平氏の言動や中国の戦狼外交を見れば、決して予断を許さない状況であろう。
中国に対する抑止力を考える上で、アメリカの軍事力およびその同盟国によるサポートが必要であるのは論を俟たないが、「経済が武器化する時代」において忘れてはならないのは、地政学と経済安全保障を組み合わせた「地経学(geoeconomics)」の視点である。
国際政治学者で、「地経学」の第一人者である鈴木一人・東京大学教授は、台湾が培ってきた唯一無二の半導体の開発力・生産力が、台湾を守る戦略的な武器となっていると指摘している。鈴木教授の近著『地経学とは何か 経済が武器化する時代の戦略思考』(新潮選書)から一部を再編集して紹介しよう。
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地政学×経済安全保障=地経学
一般的に地経学や経済安全保障と言っても、どのように理解を深めていくのかということになると、非常に複雑な問題を様々な面で抱えていると思います。地政学と経済安全保障、これらを組み合わせて言うと「地経学(geoeconomics)」となりますが、地経学という概念は、地政学と経済安全保障の単なる足し算ではなく、双方の要素が絡み合うかけ算のような関係にあります。
これまで、国際秩序を考える上で、国家がどのような地理的な位置にあり、それによって国家の行動や関係性が決まってくると考えてきたのが「地政学」です。例えば、大陸国家は陸の戦力を強化して自国を守り、国境を接する国家との力関係を重視しますが、海洋国家は、海上交通の安全を確保しながら、様々な国と接することが可能なことから、グローバルな力のバランスに関心を持つ、といった形で、各国の行動が地理的に規定されていることを念頭に置きながら、国際秩序を見ていく考え方です。
ロシアの持つ地経学的パワー
この地政学と経済安全保障が組み合わさる「地経学」は、同様に国家が地理的に規定されているということを前提に置いています。ただ、地政学と異なり、その国にある経済的資源に着目して、国家が国際秩序の中でどのような役割を果たすかを考えるのが地経学です。
例えば、天然資源のある国は、それだけで地経学的なパワーを持つことになります。ロシアがウクライナに侵攻したことで、西側諸国はロシアに対して経済制裁を行いましたが、多くのグローバルサウスと言われる国々は、対ロ制裁に参加することを避けました。それは、ロシアが供給するエネルギーや鉱物、穀物といった資源が得られなくなることが、グローバルサウスの国々にとっては大きなリスクになると考えられたからです。
つまり、ロシアは国際法に明らかに違反する、他国への侵略を行っても、経済的資源を持っているがゆえに、国際社会の一部からは批判を受けずにいます。またロシアは、西側諸国の制裁を迂回するための経路をそれらの国々に提供するよう求めています。このように、経済的資源を持つことで国際秩序の中で一定の力を持つというのが、地経学的パワーです。
イノベーションがパワーを生む
ただ、こうした地経学的パワーは地下資源を持つ国だけに備わっているものではありません。ある国や都市に特定の産業が集積し、それによって高い付加価値が生まれる事例は数多く見られます。例えば、シリコンバレーはアメリカのカリフォルニア州にある一地域ですが、そこには様々な国籍を持つ人が集まり、各国から投資を呼び込み、そしてそこで開発された技術を使って、大きなイノベーションが起こっています。
台湾の半導体大手企業であるTSMC(台湾積体電路製造)は台北の南西にある新竹を本拠地としていますが、そこには陽明交通大学やITRI(工業技術研究院)といった研究開発拠点や人材育成拠点もあって、様々な人が関わり、大きなサイエンスパークを作っています。
これらは、その土地に特別な地理的特性(つまり、鉱山があるとか、大きな港があるなど)があるから生じたわけではなく、知識や技術を持つ人たちが集まって、イノベーションを始めたところ、それが大きな付加価値を持ち、そこを拠点に開発生産することで、さらに全世界から人とお金が集まるということが起きているのです。このように、特定の国や地域、都市に人材と技術と資本が集まることによって、そこには大きな地経学的パワーが生まれます。
世界唯一の半導体製造能力を持つTSMC
その一つの例が、台湾の「シリコンシールド(シリコンの盾)」ないしは「護国神山」という言葉だろうと思います。台湾は世界でも他に作ることのできない先端半導体である、2ナノメートルの回路線幅のロジック半導体を作ることができます。先端半導体は、これからChatGPTのようなAIの活用が増えていく中で不可欠となる半導体であり、その半導体を作れる企業が世界で唯一TSMCしかない、となると、台湾の半導体製造能力を維持することが、国際社会にとっては大変重要な課題となります。
特に、先端半導体を中国が作れないとなると、中国も台湾の半導体製造能力に依存せざるを得ません。ただ、中国の永年の夢である台湾併合を武力で強引に推し進めようとすれば、先端半導体へのアクセスを失うことになってしまうため、武力の行使をためらうことになります。これが、「シリコンシールド」や「護国神山」と呼ばれる所以(ゆえん)です。
米国の政策で目まぐるしく情勢は動く
ただ、2022年にアメリカが中国に対する先端半導体輸出規制を強化する決定を下し、それにより、台湾から中国に先端半導体を輸出することはできなくなりました。そのため、中国が台湾に依存する状況が失われており、それが中国の台湾併合に向けての野心にどのように影響するのかを考えておくことは重要な問題になります。
と同時に、アメリカをはじめとする西側諸国から見れば、台湾の半導体製造能力は不可欠なものであるため、仮に中国が武力をもって台湾に対して圧力をかけるとなれば、台湾を守る必要性を強く感じることになるでしょう。つまり、シリコンシールドとは、台湾が不可欠な存在になることで、他国から守ってもらうインセンティブを高める、という戦略なのだと考えることができます。
ただし、アメリカは半導体製造能力を米国内に確保しようと、2022年にCHIPS・科学法を制定し、多額の補助金を提供してTSMCの最先端半導体製造工場を誘致しています。世界で唯一、最先端半導体を作れる能力を持つことがシリコンシールドであるため、アメリカで同等の半導体を作るようになれば、シリコンシールドの効果が薄れるという批判も出ています。TSMCは、それでも半導体の研究開発の人材や施設は台湾に残るため、シリコンシールドの効果は維持されると主張しています。
制裁では止められなかったプーチンの野心
このように、地経学的パワーは、天然資源だけでなく、その国にある技術力や人材、企業の経営力なども含めた複合的なものだと言えます。ただ、注意しておかなければならないのは、こうした地経学的パワーによって、他国に対する優位性を持ち、それをレバレッジ(テコ)として影響力を行使するとしても、それはあくまでも経済的な価値を「武器」として使っているだけであり、物理的な暴力を完全に食い止めるだけの力はない、ということです。
2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始する直前、西側諸国はロシアに対して経済制裁を発動すると脅し、実際に侵攻が始まってからは烈度の高い制裁を科しましたが、それでプーチン大統領の野心を止めることはできませんでした。プーチン大統領のように独裁的な権力を持っている個人が、経済的な損失を意に介さず、政治的、戦略的な目的だけを追求する場合、経済的な圧力によって相手の行動を変えることは極めて難しいと言えます。
地経学的パワーの影響力と限界
ですので、地経学的パワーを持つことで、国際秩序の形成に影響力を持つことはありますが、それが究極の権力の発動である戦争を止めることは容易ではない、ということは理解しておく必要があると思います。
特に、日本周辺で考えると、北朝鮮のような独裁体制が確立している国に対しては、いくら経済制裁を実施しても、その独裁者にとって核やミサイル開発を推進することが、国家の存続に不可欠である場合、その国が非核化交渉に応じることはないだろうと思います。
一方、2015年にイランはP5+1(国連安全保障理事会常任理事国である米英仏中ロとドイツ)との間でイラン核合意と呼ばれる「包括的共同作業計画(JCPOA)」を結びました。イランの核開発を止めるために、国連や西側各国がイランに対して経済制裁を実施していましたが、その経済的な痛みを感じたイラン国民が、選挙を通じて欧米と交渉することを公約に掲げたロウハニ師を大統領に選んだことで、JCPOAの成立に至りました。
いずれにしても、地経学を考える上で、その国が、国家という地理的に規定された空間においてどのような経済的資源を持っているのか、また、その資源を地経学的パワーとして、国際秩序の形成や変化に活用できているのかを見ていくことが、これからの国際秩序を理解していくためには必要だと考えています。
※本記事は、鈴木一人著『地経学とは何か 経済が武器化する時代の戦略思考』(新潮選書)を再編集して作成したものです。










