「軍事産業がアメリカを変質させてしまった」――親米保守の論客を嘆かせた「軍産複合体の実態」
アメリカは戦争を起こすことによって繁栄してきた――昔からこのような見方が根強くある。しかし、戦後の国際政治学をリードした高坂正堯氏(1934~1996年)は、むしろアメリカで発展した軍産複合体が、その国力を奪っていると考えていた。
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親米保守の論客だった高坂氏は、なぜそのように考えたのか。高坂氏が1990年に行った「幻の名講演」を初めて書籍化した新刊『歴史としての二十世紀』(新潮選書)から、一部を再編集して紹介する。
当時と現在とでは状況が異なるものの、近年、懸案となっている「経済安全保障」を考える上でも参考になる面があるはずだ。
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衰退するアメリカ
文明はいつか衰退します。アメリカに往時の勢いがなくなったのは、当然のことかもしれません。ただ、アメリカの最盛期を1945年とすると、まだ45年しか経っていません。依然としてアメリカは世界一の国力を誇っていますが、かつての輝きを失いつつあることは事実です。いろんな分野で競争に負けるようになった。ひょっとすると、現代の豊かな文明は以前よりも短命ではないのかという危惧が私の心をよぎります。
ただし、アメリカ衰退の主たる理由は歴史上の偶然という面もあります。すなわち、未曾有の経済発展は冷たい戦争と同時期に始まりました。よく考えてみると、これは歴史上かつてなかったことです。なぜなら、戦争は貧困と結びつくからです。米ソの直接的な戦争には至らないものの、「冷戦」が戦争であったことは間違いありません。
アメリカはソ連とは干戈を交えませんでしたが、朝鮮半島やベトナムは米ソ対立の最前線となり、キューバ危機では核戦争までもう一歩という事態にまでなりました。近年はすこし減少したものの、40年間も続けてGNPの9%を軍事費に使っていたのです。そう考えると、冷戦と経済発展の結びつきは偶然の一致ではないかもしれません。
ここで私は、「もしアメリカが軍需産業にお金を使わなかったら不況になっただろう」という、マルクス主義の古ぼけた公式を持ち出すつもりはありません。その図式は誤りで、反例は一つあればいいのですが、戦後日本の経済発展がそれです。
軍事費は非生産的なのか
冷戦は経済に対する負担が莫大でした。アメリカのGDPに占める軍事費の割合は、1947年の4%から1950年代には8%、9%へと増え続けましたが、アメリカ経済の専門家はそれが経済にどれほど負担になるか証明はできないといいます。
私も厳密な意味で、それを明らかにするのは無理だと思いますが、翻って考えてみると、現代の社会は、生活に必要な物よりも要らない物をたくさん作っているのではないでしょうか。
もちろん武器は非生産的です。しかし、非生産的な物なら他にもたくさんあります。ビデオなんか非生産的じゃないですか。学校教育を非生産的と言うと怒られますが、私、どう考えても、大学にまで進む人口が3分の1も必要であるか疑問です。もちろん大学教育にも効用があります。20歳前後でおくるキャンパスでの生活は、日本人の忙しい人生の中で、あの4年間だけが本当に自由な期間です。クラブやサークルを楽しみ、娯楽に熱中するのは勉強と無関係ですが、もしかしたら、上手に遊ぶことは人間にとって大事だから、それも「勉強」かもしれません。
同様の理由で、日本の自動車生産台数を半分に減らして、あとの半分を戦車に向けたら、経済的に貧乏になるでしょうか。私はならないと思います。日本の自動車が半分になっても、それほど困らないし、かえっていいかもしれない。軍備が非生産的という議論は、その他のものが生産的だという幻想の上に立っているのであって、我々が本当に生産的なものを作っているか、あるいは、使っているかというと、たいしたことはないのかもしれません。
軍事産業に奪われる優秀な技術者
また、GNPの数%を対ソ政策に費やしていたことと違った意味で、冷戦期における軍備の負担が大きかったのは、これはアメリカに特殊なケースですが、科学技術の発展を軍需が一手に担うようになってしまった。そうなると、必然的に、兵器産業に優秀な人材が集まります。かかった軍事費よりも、むしろこちらの人材の無駄使いが社会に与える影響が大きかったのです。
困ったことに、普通の車より自動車技術の粋を結集させたF1、セスナより最新鋭のジェット機というように、最先端の技術を使う製品を作る方が、耐久製品よりも技術者は自分の頭脳を働かせることができる。軍事産業は優秀なエンジニアたちにとって理想的な職場です。
諸説ありますが、アメリカの一流大学を出た技術者の3割が、軍事産業に就職するとまで言われています。産軍複合体の受け皿は大きく、それが理由でアメリカの産業が変質してしまったのです。
政治システムの変質
さらに深刻だったのが、アメリカの政治システムに与えた影響です。軍隊あるいは軍事的団体に対する配慮が国のあり方をも変えてしまった。安全保障と国防は重要で、それに携わる人を尊敬してしかるべしというのはわかりますが、一方で、平和な時期にはそう役に立たないのも事実です。平時に非常事態にどう対処すべきか考える人は一定人数必要ですが、それらの人たちが大きな力を持ちすぎるのはよくないのです。
それまでアメリカは、軍事産業を中心にして技術を伸ばしたことはなく、政治の中で軍隊が果たす役割も小さい国でした。戦後日本と同様、民需中心で伸びてきたのがアメリカだった。政府はコンパクトで軍隊の力が弱いのが活力の源泉だったのに、その社会的な背景がなくなってしまった。
1776年の建国以来、アメリカほど巨大な国土の中で、なぜ人々が自由に行動できたかというと、州や自発的な団体のような中間集団の力が強くて自律性を持っていたからだと言われています。政府が強くなり過ぎると、それがなくなります。各々が自由でバラバラに行動しながら全体でバランスを保つというアメリカ本来の政治形態が冷戦下ではやりにくくなってしまった。そこに国としての活力を削ぐ理由がありました。
冷戦が大学を変質させた
「冷たい戦争」である事実に加えて、冷戦にはそれまでの戦争と異なる性格がありました。ソ連や中国は共産主義という資本主義とは異なる体制を標榜していたので、両者の争いは普通の戦争ではなく、イデオロギー闘争、つまり、体制の正しさを巡るものになってしまったのです。
米ソ対立の緊張下においては仕方なかったともいえますが、知識人やアカデミズムに動員がかかり過ぎるようになりました。その結果、アメリカの自由さが失われてしまった。中でも、キャンパス内の雰囲気が変わってしまいました。多種多様な人間が、社会のためになろうがなるまいが好きなことをやるのが、あの国の大学人だったのですが、面白い考え方を生み出す自由がなくなったのです。
困ったことに、少数の人間が奮起して政府をヒロイックに批判しても、彼らは変わり者ということになり状況を変えることはできませんでした。冷戦体制を批判しようと肩に力が入って、自分は断固として反抗するという主張は意固地に見えてしまいます。変わった意見は悲壮ぶることなく、さらりと言わなければいけないのかもしれません。以上、様々な要因がアメリカ社会の活力を奪ったのでした。
※本記事は、高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)の一部を再編集したものです。