なぜプーチンには経済制裁が効かないのか?――イラン制裁を担当した専門家が語る「ロシアの強み」
出口の見えないウクライナ戦争。米国は経済制裁でロシアに圧力をかけているが、結果として、ロシアを停戦に追い込むことはできていない。なぜ、ロシアは圧力に屈しないのか。
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イランの核兵器開発を防ぐための国連安保理イラン制裁専門家パネルにも参加し、国際的な経済制裁の現場を熟知する鈴木一人・東京大学教授は、「ロシア制裁の効果が限られている背景には、中国の存在がある」と指摘する。鈴木教授の新刊『地経学とは何か 経済が武器化する時代の戦略思考』(新潮選書)から抜粋して紹介しよう。
経済制裁が効きにくいケース
経済制裁を考えていく中でいつも直面するのが、その経済制裁によってどのような効果が生じたのかという問題です。私自身も、これまでに何度も経済制裁に意味があったのかという問いを投げかけられた経験があります。
経済制裁は、対象国の経済的な対外依存度が高ければ高いほどその効果が大きくなります。しかし、北朝鮮のように対外的な経済依存度が高い国であっても、中国やロシアといったその国を支える国があり、それらの国が制裁の履行を徹底しなければ、大きな抜け穴になりますので、経済制裁の効果を上げることは難しくなってしまいます。また、スーダンのように周辺国と陸続きの国でも、こうした経済制裁の効果は限定的になりやすいと言われています。なぜならば、国境の監視が十分に行き届かず、闇取引が非常に増えてしまう傾向があるからです。当然、汚職が進んでいる国では、制裁対象国との取引で暴利を得ようとして、闇取引に加担する個人や団体は多くあります。実際、私が専門家パネル委員として調査した様々な事案においても、そうした特定の個人や団体が闇取引の仲介者となり、制裁をかいくぐる形で取引をしているという例にいくつも出会いました。
中国への依存
同様に、西側諸国が行っているロシアに対する制裁もあまり効果が出ていないと報じられることがあります。ロシア制裁の効果が限られている理由としては、ロシアのエネルギー資源や食糧に関する自給率が非常に高く、対外的な経済依存度が低いということがまず一つの大きなポイントです。そして、中国やインドといった大きな国がロシア制裁には参加しておらず、特に制裁の対象である半導体や電子部品が中国からロシアへ輸出されていることも、制裁の効果を減じている大きな要因と言えるでしょう。ロシア制裁が始まってからロシアの中国への依存度は極めて大きくなっていて、ロシアの総輸入額のおよそ40%が中国からの輸入になっており、また輸出に関しても中国が最大の相手国になっています。一方、中国からするとロシアとの取引額は極めて小さく、中国がロシアと輸出、輸入している額はいずれも全体の5%以下というレベルです。
そこから見えてくるのは、ロシアは中国に依存している一方で、中国はロシアに依存していないという非対称な関係になっているということです。よくロシアは中国のジュニアパートナーだという言われ方をされますが、実際にロシアは中国に大きく依存し、自律性を失っている状況に陥ってしまっているのです。
保険による制裁
また、経済制裁の隠れたファインプレーヤーとしてレバレッジを利かせているのが、保険の分野です。保険制裁は、イラン制裁の時に初めて実施されました。特に産油国であるイランやロシアに対して非常に効果的だったのが、石油を輸送するタンカーに保険を掛けさせないという措置です。イランの場合、国内には保険会社がほとんどありません。また、タンカーの保険というものは、もし事故が起きた場合に船体への保険金に加え、油流出に伴う処理費用なども巨額になってしまうため、保険会社単独では背負い切れないことから、保険会社は再保険を掛けて巨額の支払リスクを分散します。一方、このような再保険会社は欧米に集中しているので、欧米諸国が再保険市場から制裁対象国を排除することによって、タンカーの保険も掛けられない状況に陥ってしまいます。そうなると、無保険の状態でタンカーを動かすのはリスクが大きすぎるので、結果的に石油を輸出できなくなり外貨も稼げなくなってしまうということが起こります。これは事実上の石油禁輸措置であり、イラン制裁においてものすごく効果を発揮しました。
ロシアに対する保険制裁
しかし、イランでは効果を発揮した保険制裁ですが、ロシアはそれをかいくぐる方法を見つけたとして、大きな問題になっています。
ロシア制裁においては、原油上限価格というルールが設けられています。これは、原油を輸送する際に価格を1バレル60ドル以下(制裁開始当初の上限価格)にしないと保険を掛けることができないといった措置です。2025年7月には、上限価格を市場平均価格より15%低い変動価格とすることになりました。この原油上限価格の設定には、ロシアを儲けさせないようにする目的があるのと同時に、西側諸国がガソリンなどの石油製品を安く手に入れることができるかもしれないという思惑もありました。というのも、西側諸国は制裁をかけているので原油を直接ロシアからは買えないのですが、実はインドなどの国がロシアの原油を輸入して精製することでインド産などのガソリンとして輸出ができますので、それを輸入すればよいのです。原油上限価格というものには、このような制裁迂回を見越しての措置という面もあったのです。
さらに、ロシアの原油が市場に出回らなくなると、これまでロシア産原油を買っていた中国などが他の供給元から供給を受けることになり、世界全体の需給バランスが崩れて、原油価格が高騰するという恐れもあります。既に新型コロナ禍明けの物価高と対ロシア制裁で原油価格が高騰する中で、さらなる原油価格の高騰を望まない西側諸国は、ロシア産原油の輸出は認めるが、価格を低く抑えるということを目指したのです。ただ、あまり低く設定しすぎるとロシアが輸出するメリットがなくなるため、ロシアに輸出するインセンティブを与えつつ、国際市場価格よりも低い価格として、市場平均価格より15%低い変動価格という設定になりました。
保険制裁をかいくぐるロシア
この制裁には一定の効果があったのですが、だんだんとロシア産の原油の市場価格が当初の上限価格であった1バレル60ドルを超えて65ドル、70ドルと上がっていくようになり、その効果が薄れてきました。なぜならロシアは再保険を掛けずに自国の保険のみで運航するという「影の船団」と呼ばれる闇タンカーを使って、非常にリスクの高い輸送を実施するようになったからです。
既に述べたように、タンカーが事故に遭い、その油が流出するようなことがあれば、環境への悪影響は避けられず、その油を回収し、被害を最小限に抑えるためには多額の費用がかかります。しかし、「影の船団」は通常でも保険の引き受け手がないような古いタンカーを使っており、事故のリスクは非常に高くなっています。もちろん、現代の船ですから、リスクが高いといっても一万回に数回くらいの確率のリスクなのですが、一度事故が起こると取り返しのつかない被害が出るため、保険は必須です。
しかし、ロシアがこうした環境への配慮やリスクを無視した行動を取ることで、また、そのロシアのタンカーを受け入れる国があることで、保険制裁をすり抜けるということが起きています。そのため、G7が結束してロシア国内の保険会社に対しての制裁を検討しているような状況です。
金融の地経学的パワーを握る米国とEU
経済制裁の重要なポイントは、金融や保険の分野において非常に強力なレバレッジを持っているのはアメリカとEUであり、これが欧米諸国の持つ地経学的パワーなのだということです。ロシアが制裁をすり抜けているとはいえ、それは大きなリスクを取っているからであり、そうしたリスクを取らせることができるのは、アメリカやEUの地経学的パワーと言えます。
一方、ロシアは原油、中国はレアアースなどのレバレッジを有するものの、金融分野では他国に対して効果的な制裁ができるようなレバレッジを持っていません。世界経済のあり方やシステムが様々な形で変わってきている昨今、それでもまだ金融の地経学的パワーを握っているのはアメリカとEUであるというところが、ここで押さえておくべきポイントの一つだと思います。
権威主義国家に経済制裁が効きにくい理由
ただ、このような地経学的パワーのレバレッジをアメリカやEUが握っているとしても、経済制裁の効果というものは極めて非対称的であると言えます。というのは、経済制裁の最終的な目的は、相手国の政治的行動や政策を変更させることにあるからです。これには政策変更の回路が必要です。まずは、経済制裁を行うことで相手国の経済にダメージを与えます。そして、その国の経済が困窮してくると国民の不満が高まっていき、現状を何とかしてほしいと国に対して圧力をかけ始めることになります。その結果、国の政策が変わるということが起こるわけで、民主主義的な国家であるほどそのような変更が起きやすいのです。
他方、権威主義的な国家というのは、国民の不満を黙殺し、反発を抑制してしまうため、政策変更が起きにくいと言われます。まさにロシアは、プーチン大統領に権力が集中し、国民がプーチン体制に対して異を唱えることは、自らの命をリスクにさらすことを意味します。形式的にはロシアにも選挙はありますし、プーチン大統領は毎年恒例として、国民と直接対話するというパフォーマンスを演じています。しかし、戦争に反対する運動や、経済制裁の解除を実現して生活を取り戻して欲しいという国民の願いは、取り上げられることはなく、国家的目標であるウクライナ支配を実現するまでは、プーチン大統領は国民の生活苦を無視することになるでしょう。また、ロシアの場合は対外依存度が低いため、市民生活に経済制裁の影響が出にくいということもありますが、それでも、不満を言えば自分の命が危なくなるような国では、経済制裁が経済に影響を与えたとしても、それが政策転換につながるということは難しくなります。
イランに効いた経済制裁がなぜロシアには効かないのか
経済制裁の効果というものは政策変更の回路から生み出されるものであるため、経済制裁をかけたからといって、即座に政策変更が起こるというわけではありません。したがって、経済制裁は役に立たないとか効果がないというようなことを言う方も多いのですが、国民の不満に対する感受性のようなものがある国とない国では効果の表れ方が異なることを理解しておく必要があると思います。
少々結論を先取りして申し上げますが、イランの経済制裁が成功した理由の一つに、イランには曲がりなりにも選挙制度があることが挙げられます。私はイランが民主主義的な国家だとは思っていないのですが、イランの選挙制度自体はそれなりにしっかりとしたものであり、国民の不満を投票という形で表現することで政権交代を起こすこともできるのです。その結果、イランは核開発に積極的な政策から転換し、イラン核合意と呼ばれる合意に至ったという歴史的な経緯もあります。この点から考えても、経済制裁の効果は、選挙制度がある場合とない場合では大きな違いがあって、きちんと民主的にリーダーを選ぶことのできる仕組みがある国においては、特に効果を発揮しやすいと言えます。ただ、ロシアが行っている形骸化した選挙のような、選挙と呼べるのかどうか怪しい制度を採っている国には注意が必要だろうと思います。
※本記事は鈴木一人著『地経学とは何か 経済が武器化する時代の戦略思考』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。











