「中国系マフィアは日本人を顎で使い…」 特殊詐欺、諸悪の根源は中国政府だった
「ミャンマーの中の中国」
一方、特殊詐欺で日本人が保護されたカイン州ミャワディはどういう状況だったか。
シャン州コーカン自治区が「一帯一路」への「北の玄関口」だとすれば、「南の玄関口」がミャワディだった。この地にも2番目に大きい「経済協力区」が建設された。
「要衝の地と定められたミャワディにも、中国企業が進出して投資を行い、少数民族武装勢力の『カレン民族軍』と手を組み、カジノやホテルなどリゾート施設を建設して、中国人観光客を呼び込んだのです」
と、先の事情通。
ここでも町には中国語の看板が立ち並び、人民元が通用する「ミャンマーの中の中国」になった。ここまではシャン州コーカン自治区と同じである。
ところが、19年、中国で新型コロナウイルス感染症が発生した。翌年には世界中にコロナ禍が拡大し、中国政府は中国人民に出国禁止の命令を下した。突然、ミャワディから中国人観光客の姿が消えたのである。
「閑古鳥が鳴くミャワディに見切りをつけた中国企業は、次々に撤収していった。入れ替わりに、中国国内で摘発を逃れた中国系犯罪グループが流入してきました」(同)
残っていた少数の中国企業も撤退し、やがて犯罪グループだけが大手を振って闊歩する町に様変わりしていった。
つまり、「経済協力区」のあるところ、儲け話に誘われた中国企業が進出すると、次には決まって中国系犯罪グループが流入するというパターンが定着したのである。
本国送還された中国人は6万7000人
しかし、犯罪グループのわが世の春もそれほど長くはなかった。ミャンマーでは、20年の選挙でアウン・サン・スー・チー率いる民主派が圧勝するも、21年に国軍がクーデターを発動して軍事政権を打ち立てた。
以来、国軍と民主派勢力、少数民族武装勢力との間で武力紛争が絶えない。23年、中国から大量の武器を提供された民主派と複数の少数民族武装勢力は、コーカン自治区の国軍司令部に総攻撃を仕掛けた。
「中国の目的は、『明』ファミリーを一網打尽にすることだった」(前出の事情通)
この戦闘で国軍司令部が崩壊したのを皮切りに、23年~24年末にかけて、ミャンマーでは中国系犯罪グループによる特殊詐欺事件が次々に摘発された。
中国最高人民検察院の統計によると、24年11月までに本国送還された中国人は6万7000人以上に上り、そのうち中国地方検察局は2万9000人余りを起訴した。
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