息子を溺愛する妻を見て「僕も母に愛されたかった」欲望はとんでもない方向へ… 46歳夫が“気づけば流していた”涙のワケ
自分もこうやって愛されたかった
義母の関心のターゲットが、孫から雅秋さんに移っていったのかもしれない。避けながらも、彼の脳裏には豊満な義母の胸が視覚と触覚にくっきりと焼きついた。当時、義母は50代だった。まだまだ女としての欲が強かったのだろう。それまで義母を女として意識したことはなかったのに、その一件以来、彼は義母がそばにくると息苦しくなるほどだった。
「本来、僕は年上の女性が好きだった。学生時代、家庭教師先のおかあさんとあらぬ関係になったこともありました。家族が多すぎて機能不全になっているような家庭で育ったから、母親の愛情もちゃんと受けていないという思いもあって。マザコンなのかもしれないです。義母との一件は、それまで考えないようにしてきた“母親からの愛情”を、考えさせられるきっかけになってしまった」
なぜか変な気分になる日々が続いた。妻は息子に夢中で、雅秋さんが早く帰ろうと遅く帰ろうとあまり関心を示さない。息子を猫かわいがりしている妻を見るうち、雅秋さんは自分もこうやって愛されたかったという思いが募っていった。
「会社では義父に監視されているような日々だし、家では妻から疎んじられているような気がして、あのころは寂しくてたまらなかった。でも息子が小学校に入るまでは、ちゃんと父親としての責務を果たそうと思っていました。どうして小学校に入るまでと思ったのか自分でもわからないけど、小さいうちは常に命の危険があるような気がしていたんです。だから小学校に入学したときはホッとしました」
好みの「熟女」と出会って
少しだけ自分を解放してもいいのではないかと感じていたそのころ、彼は仕事で一回り年上の女性社長と知り合った。義父の代理として打ち合わせをしているうちに、少しずつ親しくなった。淑恵さんというその女性社長はまさに、雅秋さんの好みの「熟女」だった。少しぽっちゃりしていて色白、「言葉は悪いけど、組み敷きたいという欲求がわいてきてしまった」と彼は言う。
彼の変遷はいつも唐突だった。親を蔑みながら大きくなり、優秀な学生生活を送ったと思ったら、突然の海外放浪。だが帰国後は自ら望んだかのように、義父の秘書という息苦しい立場に落ち着いた。そしてそこにとどまることなく、また何か別の衝動に突き動かされたのだ。
「言われてみればそうですね。一貫性のある人間になりたいと思っていたけど、放浪していたらそうやって自分の人生を決めつけたくなくなった。そのころは、親に対しても学がないから貧乏なんだとは思わなくなりました。学があれば幸せというわけでもない、あの大家族はそれなりによかったのかもしれないとさえ思うようになった。少なくとも父は、家族をみんな引き取って一緒に住んでいたわけだから、それはそれで立派です。僕は結局、妻の実家に依存しながらしか生きられなかった。まあ、それも自分が選んだ道ですけど」
自分は何をしたいのか、どうやって生きたいのか。彼にとって、その答えはまだ出ていなかったのだろう。それがその女性社長に会ったことで、一気に展開した。
「僕はあまり所有欲や独占欲のない人間だと思っていました。だけど淑恵さんを、どうしても自分のものにしたくなった。人に対して、そういう感覚をもつことを嫌悪していたのに、嫉妬と独占欲に苛まれました」
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