息子を溺愛する妻を見て「僕も母に愛されたかった」欲望はとんでもない方向へ… 46歳夫が“気づけば流していた”涙のワケ

  • ブックマーク

変な家庭

 だが不思議なことに、真悠子さんは夫婦の営みをあまり好まなかった。新婚当時、数回しただけであとは拒絶。それなのに彼が帰宅すると、まとわりつくようにして話したがった。

「数年かけて話を聞いたところでは、彼女は常に愛されていないという思いを抱えていたようです。父親は仕事三昧、母親は双子の弟ばかりかわいがっていた。彼女には年の離れた兄がいるんですが、この兄もすでに家を出て、ほとんど顔を見たこともありません。義父は婿養子で、義母が由緒正しい家柄だった。家は立派だけど、中身はかなりスカスカだったんですね。そんな家庭で育った私がまともに育つわけがないと真悠子は泣き笑いのような表情で語っていました。『でも、もう男の道具になるのは嫌なの』とも言った。彼女にとって、性的なことは、男に身を捧げることであり、自分をすり減らす行為だったようです。夫婦なんだからしなくていいと言っていました。他にも何か傷になっていることがありそうだったけど、それ以上は聞けなかった」

 妻のそんなカミングアウトのおかげで、ふたりは性交渉をともなわないが、悪くはない関係を保っていた。ただ、結婚して3年たったころ、真悠子さんは急に「子どもがほしくなった」と言い始めた。しばらくぶりにしてみるとすぐに妊娠。33歳で彼は男の子の父親になった。

「子どもの力はすごいですね。義父母と真悠子の距離が一気に縮まった。初孫ですからね、義両親は大喜びでした。代わりに義弟は母親の過干渉から抜け出せた。義弟からはお礼を言われましたよ。『僕もようやくこの変な家から出ていける』と、うれしそうにひとり暮らしを始めて。それでも義弟とはときどき会って酒を飲むような関係でした。義父も立派な社会人だし、義母はもともとお嬢様だったらしいし、突飛なことを言うわけでもするわけでもないんだけど、義弟が言うように、なんだか“変な家庭”なんですよね。孫ができたら、義母の関心は一気に孫にいって、義弟のことはかまわなくなったのもその例ですが」

義母の衝撃の行動

 義父母の個性が強烈といえばそれまでだが、本人たちにその認識はなさそうだった。義父は立派な肩書きがありながら、家では妻の言いなりだった。そしてその妻は、かなりの気分屋。はたから見ていればおもしろい一家だが、中に入るとそれなりに苦労があったと雅秋さんは言う。

「息子が生まれる前から、僕は義父と義母、それぞれから家庭の愚痴を聞かされるようになっていた。ある意味で部外者だから言いやすかったんでしょう。夜中に義母がやってきて、朝まで愚痴につきあわされたこともありました」

 子どもが生まれてからもそれは止まなかった。ある晩、真悠子さんと子どもが寝静まったあとにやってきた義母に手招きされて母屋に行くと、また延々、義母が義父の悪口を言う。聞いているふりをしながら、彼はふっと寝落ちしてしまった。次の瞬間、妙な感触で目を覚ますと、彼は義母の乳房を触らされていた。

「驚きましたよ。ブラウスの胸をはだけた義母が目の前にいて……。何が起こったのかよくわからなかった。義母は義父から女として見てもらえないと愚痴っていたんです。その気持ちが高じて、なぜか僕を誘惑しようとしたんですかね。さすがにびっくりして自宅に逃げ帰りました。でも義母は翌朝会っても平然としている。どういう人なんだとビビりました。妻にも言えなかった。それ以来、なるべく義母を避けて暮らしていたけど……」

次ページ:自分もこうやって愛されたかった

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[2/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。