息子を溺愛する妻を見て「僕も母に愛されたかった」欲望はとんでもない方向へ… 46歳夫が“気づけば流していた”涙のワケ

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【前後編の後編/前編を読む】「こんな田舎でオヤジの工場を継ぐなんて…」上京して社長令嬢と“逆玉婚” 46歳夫が語る地獄のはじまり

 地方の町工場の長男に生まれた北岡雅秋さん(46歳・仮名=以下同)は、貧しい大家族の暮らしに嫌気が差し、親類のつてをたどって高校から上京した。以来地元へは戻らず、大学卒業後に世界を放浪したのち、シンクタンクに入社。そこで知り合った中堅企業の社長から「娘と結婚してやってくれ」と勧められ、29歳のときに5歳年下の真悠子さんと結婚したが――「これが地獄の一丁目ということだった」と彼は語る。

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 真悠子さんの父親の意向で、妻の実家の敷地内に小さな家が建てられ、新婚夫婦はそこで生活を始めた。

「ままごとみたいな生活だった。食事は母屋から運ばれてくるし、お手伝いさんも実家と兼務で、家事はすべてやってくれていました。義父に請われて、僕も勤務先を辞めてその企業に入りました。義父の秘書みたいな扱いで。驚くようなスピード展開で人生が変わっていった。それなりにおもしろかったですけどね」

 その後、雅秋さんは、義父の正式な秘書となり、会社のためにさまざまな提案をするようになった。弁護士資格はもっていなかったが、彼は大学時代、企業関係の法律をかなり研究していたので大いに役立ったという。

「結婚するにあたって、義父から僕の実家にかなりのお金がわたっていました。家族なんだから助け合おうという名目だったけど、義父にしてみれば僕をがんじがらめにしてしまおうということだったみたい。というのは、真悠子はかなり筋金入りのワルだったらしいんですよ。警察沙汰にならなかっただけ。僕は知らなかったけど、高校時代から今で言うパパ活もしていたし、大学時代は男のところを泊まり歩いているような生活だった。でもやっと落ち着いたので、親はホッとしたんでしょうね。離婚だけはしないでほしいと頼まれました」

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