その分野の「最高峰」を見ておくことこそ重要…クリスティーズ社長が語る「真贋」を見極める力とは

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アートにこだわり過ぎない

 実物に触れる機会を多く持ち、自分の「好き」を見つけていくこと。それがアートの楽しみ方の第一歩ということだ。それを繰り返していくことが、自分なりの美意識をつくり高めていくことにつながるのである。ただしその際、アートにこだわり過ぎないほうがいいのではと山口氏は言う。どういうことか。

「私の文化摂取傾向は、かなり雑食系です。もちろんアートも観ますが、ほかにも小説はよく読むし、映画や観劇、音楽ライブにも足を運びます。あれこれ好きなものに触れているだけとはいえ、そうすることによって自分が真に求めているものがはっきりしてくる感覚はあります。つまりアートだけ観ていても、アートがわかるようになるわけじゃない。世の中にあるさまざまな表現に触れることによって、自分の美意識は明確になっていくものではないでしょうか。

 芸術に触れるときには、せっかくならばいいものに触れるべき、というのも強調しておきたいところです。そうしてこそ自分のなかに基準ができていきます。仕事で査定をするときにも痛感するのですが、その分野の最高峰を見ておくというのは重要です。トップのものを見てその値段を覚えておけば、どんなレベルのものが目の前に現れても、トップから引き算をしていけば値付けができます。中程度のものにしか触れたことがないと、トップレベルのものが出てきたときに価値判断ができなくなってしまいます。いろんな分野の最高のものを見続けることで、美意識は醸成されていくのだと思います」

無類の骨董好きだった小林秀雄

 美術館やギャラリーに行って作品を観る以外にも、アートの楽しみ方としては、買って手元に置いてみるという方法もある。購入したりコレクションしたりすると、アートはさらに味わい深くなるものなのかどうか。

「購入してこそ得られる楽しさは、間違いなくあります。実体験から言いますと、アートがひとつ家に来る、それだけで生活に気づきが生まれます。それにアート作品やそのコレクションは、その人を映す鏡のようなものです。一つひとつの作品を入手するうえでは、明確で強い本人の意思があるでしょうから。海外でだれかの自宅へ伺うと、きっと何らかのアートが飾ってありますが、それら作品自体が、持ち主の自己紹介のような機能も果たしています」

 アートをもっと楽しむための一冊も、山口氏に挙げていただいた。小林秀雄『真贋』である。無類の骨董好きだった批評家・小林秀雄が、骨董とのかかわりを多様な挿話を駆使して書き綴ったものだ。

「この作品で小林秀雄が最も強調しているのは、どんなものでもやはり実際に目にしたり触れてみないことには、その本質はわからないであろうということです。ものと対するときの姿勢を改めて考えさせられます。あれほどの文学者が、ひとつの骨董を前にして子どものようになってしまい、真贋を悩み抜いたり振り回されたりするさまが詳述されているのも、おもしろいところです。美術品には、どんな人をも魅惑し動かすだけの力があるというのも、よくわかります。自分にとっての美を見つけることや、美を見つけようとする心自体が大切だということを教えてくれる一冊、アートに関心ある方はぜひご一読を。

 小林秀雄を読んでみるということも含めて、アートの楽しみ方には本当にいろんなアプローチがありますし、人それぞれに自由でいいのだと思います。自分のやり方で、自分の好きなものを見つけていくのがいちばんです。人が何と言おうと、自分が好きなものを好きと言うのは精神衛生上よさそうですし、真に好きだ! と言えるものと出合えたときの喜びは、何物にも代え難い。ぜひ機会を探してさまざまなアートに触れて、いっそう心豊かになっていきたいものです」

山口桂(やまぐち・かつら)
1963年東京都生まれ。世界で最も長い歴史を誇る美術品オークションハウスの日本支社「クリスティーズ・ジャパン」代表取締役社長。国際浮世絵学会理事、京都芸術大学非常勤講師。長年、東洋美術部門インターナショナル・ディレクターを務めてきた古美術の目利き、日本美術のスペシャリスト。著書に『美意識の値段』(集英社新書)、『若冲のひみつ 奇想の絵師はなぜ海外で人気があるのか』(PHP新書)、『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)などがある。

山内宏泰/ライター
1972年、愛知県生まれ。美術、写真、教育などを中心に各誌、ネット媒体に執筆。著書に『写真を読む夜』、『大人の教養としてのアート入門』など。

デイリー新潮編集部

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