巨匠「松本零士」逝去から2年を経て「未完の超大作」が刊行…「松本先生のナマ原稿は異様なまでに重かった」元担当編集者が明かす連載時の秘話
漫画・アニメーションの巨匠、松本零士が逝去して2年半余り(享年85)。本年は、大規模な松本零士展が開催されるなど、話題は尽きないが、いまになって、正味「370頁」にもおよぶ、分厚い「初単行本化」作品が刊行された。
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これほどの有名漫画家に、小品ならまだしも、このような大作で単行本化されていない作品があったことに、驚いている若いファンも多い。その作品とは、『ニーベルングの指環』全4部作の、最終第4巻『神々の黄昏』。先月末、『ニーベルングの指輪 完全版4』として小学館クリエイティブから刊行されたばかりである。
実は『ニーベルングの指輪』全4部作は、1990年10月から第1部「ラインの黄金」の連載がはじまり、第3部までが新潮社で単行本化されてきたが、2000年12月、最終第4部「神々の黄昏」の途中で連載が中断。第4巻のみが単行本化されないまま、“まぼろしの作品”となっていたもの。それが、未完とはいえ、実に、連載開始から35年たって、ついに全巻がそろったというわけだ。
連載期間だけでも10年間、この作品を担当してきた新潮社の元担当編集者・森重良太氏に、その間の思い出などを綴っていただいた。
〈松本零士版・紅白歌合戦〉を
新潮社でマンガ出版の研究がはじまり、わたしが担当になったのは、1980年代後半でした。さっそく、大ファンだった松本零士先生のお知恵をお借りしようと、練馬・大泉の零時社にうかがいました。
松本先生がクラシック音楽ファン、特にワーグナーがお好きであることは知っていたので、
「ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』全編をマンガ化できませんか」
と持ちかけました。全4部作で、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の超大作です。すると、先生は大乗り気で、すぐに話は盛り上がりました。神話世界を、宇宙に舞台を移し、松本キャラが総出演する〈松本零士版・紅白歌合戦〉にしてくださいとお願いしました。
ところが、当時の新潮社には、マンガを連載できる媒体がありませんでした。当初は、描き下ろしで刊行するとの案もあったのですが、さすがに実現しないまま、時間が過ぎました。
あるとき、知己の紹介で、雑誌「中古車ファン」(モーター情報社)で連載できることになりました。ただし、同社も人手不足につき、原稿は新潮社のほうで受け取り、印刷所に入稿できる状態にして持ってきてほしいとのことでした。
こうして1990年10月から、同誌で、第1部「ラインの黄金」の連載がはじまりました。
幸い、連載は好評でしたが、とにかく松本先生は多忙で、毎回、出来上がりが遅く、実にたいへんでした。当時はまだデジタル技術はなく、むかしながらのアナログ作業です。原画現物をいただき、ネーム部分には、写植をペーパー・セメントを使って、手作業で貼り込まなければなりません。
出来上がりはいつも明け方です。早朝からタクシーを飛ばして、玄関先で原稿をいただき、そのまま車中で「写植貼り」をして、「中古車ファン」編集部に持ち込むことも、しばしばでした。あるときなど、車内にペーパー・セメントの匂いが充満し、運転手さんに「変なクスリやってるんじゃないでしょうね」と、にらまれたこともありました。
松本先生のナマ原稿は、とにかく「重い」のです。それまで、何人かの漫画家のナマ原稿を拝見してきましたが、ほとんどの方は、薄手で軽い模造紙タイプです。しかし松本先生の原稿用紙は、異様なまでに分厚いのです。
「宇宙のシーンが多いので、墨をたっぷり使います。薄手だと、墨のベタ塗りで、用紙がそり返ってしまう。色原稿にもそのまま使えるように、厚い紙を使っています」
と聞いたことがあります。長年、松本先生のもとでアシスタントをつとめてきた板橋克己さんも、
「用紙が厚手なので、ペン先が紙に引っかかってしまい、慣れるまで時間がかかりました」
といっていました。
ただでさえ厚手で重い用紙が、大量の墨汁を吸い込んでいますから、さらに重くなります。しかし、とてもよい墨の香りが漂うのです。仕上がりはいつも遅れ気味でしたが、重量級の原稿をいただいて墨の香りを嗅ぐと、苦労も忘れてホッとしたものでした。
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