「認知症の妻の最後の言葉は“大好き”でした」 作家・阿刀田高(90)が初めて明かす介護 「妻を施設に入れたのは、結果的に大成功」

エンタメ

  • ブックマーク

海馬睡眠法

 食事、運動とくれば、もう一つ健康に欠かせないのが睡眠。年を取って体力が衰えると、「睡眠力」も落ちるといわれます。私も、昔から寝つきが良いほうではなく、なかなか眠れない日があります。

 そんな時こそ、90年間共に過ごし、いまでも稼働してくれているわが海馬の出番です。記憶をたどり、あれこれと思い出してみる。例えば、「源氏物語」全54帖のタイトルを頭の中でつぶやく。桐壺、帚木、空蝉、夕顔……横笛、鈴虫ときて、はて次は何だったっけ? あの有名な夕霧が思い出せなかったりしてどうもいけない。でも、それも海馬がもう覚えている必要がないと判断し、忘れさせてくれていると考えることにして気にしない。これまた達観力のたまものです。

「源氏物語」でダメなら、百人一首を一つずつ思い出したり、ギリシャ神話の神々の名前や、神武、綏靖、安寧と歴代天皇をたどってみたり。とはいえ、徳川15代将軍では睡眠の助走にはちと短過ぎる――そんなことをつらつらと考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちている。要は、眠れない、眠れないと悩まない。なんともシンプルな睡眠法です。

人間の本質・根源

 最後に、高齢者の健康のためだけに限らない、人間の生命力に関する私見にお付き合いを。

『90歳、男のひとり暮らし』は、私自身が心がけている九つの「推し行動」を並べて締めくくっています。「鏡を見る(身だしなみに最低限の気を使う)」「リュックサックを背負う(とにかく転ばないよう気を配る)」。そんな心得と共に、九つの中に忍び込ませたのが「密かにエロスに親しむ」です。

 そんなことを言ったら品性を疑われると、お医者さんを含めてみなさん表立っては言わないけれど、エロスとは生命力、人間の本質・根源に関わるものです。ですから、健康的に生きていくには、たとえ高齢者であろうといくつになっても関心を失ってはいけない。もちろん、人様から後ろ指をさされないよう、上手に隠して親しむ必要があるわけですが。

 作家の小池真理子さんは、亡くなられたお父様が晩年暮らした施設の部屋で遺品を整理していたら、怪しげなビデオを見つけた。その時に、あきれるのではなくこう感じたそうです。

「わが父もそうであったのか」

 そして、そんなお父様を良しとした。

 そういえば、わが家の押し入れにもたしか……。話はここまで。上手に隠して親しむのがおきて。なによりも、品性を疑われ、「おじいちゃん、大好き」を妻に取り消されたら台無しです。

阿刀田 高(あとうだたかし)
作家。1935年生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。79年に短編集『ナポレオン狂』で直木賞を受賞。95年から2014年まで同賞の選考委員を務める。03年に紫綬褒章、09年に旭日中綬章を受章し、18年には文化功労者に選出された。

週刊新潮 2025年10月2日号掲載

特集「作家・阿刀田高さんが初めて語る 『90歳、男のひとり暮らし』」より

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[5/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。