「認知症の妻の最後の言葉は“大好き”でした」 作家・阿刀田高(90)が初めて明かす介護 「妻を施設に入れたのは、結果的に大成功」
家族の介護、自らの老い、そして死に支度……。人生100年時代、長い老後を生き抜くのも楽ではない。ここは人様の生活を垣間見て、少しでもその知恵を参考にしたいところである。直木賞作家の阿刀田高氏が初めて明かした「90歳、男のひとり暮らし」に学ぶ。
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この人は、もう二度とここに帰ってくることはないのではないか……。そんな感慨を抱いたことを覚えています。
2023年1月、妻は自宅を離れました。正確には、認知症を患い、車椅子生活となっていた妻をだましてタクシーに乗せ、介護付有料老人ホームに私が連れていったのです。そして今年の5月、妻は自宅に戻ってくることなく施設で息を引き取りました。2年前に覚えた感慨通りとなったのです。
伴侶をだまして施設に入れたことに罪悪感はなかったのか。その質問には即答できます。「なかった」、いまでも「ない」と。
〈こう振り返るのは、作家の阿刀田高氏だ。
1979年に『ナポレオン狂』で直木賞を受賞。日本推理作家協会理事長、日本ペンクラブ会長などを歴任し、日本を代表する短編の名手として知られる阿刀田氏は今年90歳の節目を迎え、9月25日に『90歳、男のひとり暮らし』(新潮選書)を出版した。
人生100年時代における「90歳のリアル」を率直につづった阿刀田氏は、同書には“書けなかった”妻の晩年から語り始めた。〉
「離婚してやる」と大声で悪態を
「おじいちゃん、大好き」
亡くなる1週間前のことでした。理性の残滓のようなものがまだぎりぎりあった状態で、妻は私に向かってこうつぶやいたのです。孫がそばにでもいない限り私を「おじいちゃん」と呼ぶことはなく、認知症になってからは「離婚してやる」などと大声で悪態をつくことも多かった妻が、事実上、最後に残した言葉でした。
終わり良ければ全て良し。妻の施設入所は大成功だったと、いま改めて感じています。なにしろ、妻がまだ自宅にいた頃、二人暮らしだったわが阿刀田家は崩壊の危機を迎えていたのですから。
〈これは単なるヒステリーなんかじゃないかもしれないな……〉
それは20年の暮れから21年の年明けにかけて、妻と二人で伊豆修善寺へ旅行に出かけた時のことでした。宿に着く前から「あなた一人で行ったら」「私は帰る」と妻はわめき、現地に到着しても「あなたはひどい」などと、とにかく私に当たってくる。これは何かの病気なのではないか。そんな思いが頭をよぎりました。実際、病院で受診すると、レビー小体型認知症との診断が下されたのです。以来、まずは自宅で妻を介護する生活が始まりました。
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