「認知症の妻の最後の言葉は“大好き”でした」 作家・阿刀田高(90)が初めて明かす介護 「妻を施設に入れたのは、結果的に大成功」

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夜中に突然水をかけられたり……

 認知症に続き、階段から転げ落ち脊椎腰部を圧迫骨折して、歩けなくなっていた妻にご飯を作り、下の世話をする。私なりに寄り添って介護をしたつもりですが、認知症の症状が進んだ妻は、夜中に突然私に向かって水をぶっかけてきたりするようになりました。頼んで来てもらっていたヘルパーさんをも、「あなた、それでもプロなの」などと罵倒する。騒ぎ立てて手をつけられない妻と距離をとるため、近所に小さな部屋を借り一時避難することもありました。

 そんな折、知人に相談し、わが家の介護の様子を施設の方に見に来ていただいたところ、こう告げられたのです。

「この家は危機的な状況です。いまの状況があと半年続いたら、阿刀田さん、今度はあなたが参ってしまいますよ」

 たしかに、妻の介護をしていた時期の「自分自身の生活」がどういうものだったか、あまり記憶に残っていません。それほど妻の介護に翻弄されていたということなのでしょう。そこで思い切って、妻を施設に入れる決断をしたのです。

施設に入れる“作戦”

 とはいえ、好き好んで慣れ親しんだ自宅を離れ、施設に入りたいと願う人はいません。介護をしている方はみなさん、どうやって被介護人を施設に入れるか悩まれるそうですが、私の“作戦”はこうでした。

「新しいデイケアサービスに行ってみよう。試しにやってみて気に入らなかったら、通わなければいいだけの話だから」

 こんなふうに妻をだまして介護タクシーに乗せ、そのまま施設に連れていったのです。

「だまし討ち隔離」なんてひどいと受け止める方もいるかもしれません。それでも私が大成功だったと言う理由には、わが家が崩壊寸前だったことに加え、まず、妻が施設を「ここは意外といい“学校”ね」と評価し、快適に過ごしてくれたことが挙げられます。

 もちろん、すんなり施設になじむというわけにはいきませんでした。実際、妻が施設から出たがることもあったそうです。また、私が妻に会いに行けば、「ここ以外に家族が待っている快適な場所がある」と“里心”をつけてしまうことになる。施設の方にそう言われ、初めの3カ月は面会せず、施設に行っても離れたところから妻の様子を眺めているだけでした。

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