「認知症の妻の最後の言葉は“大好き”でした」 作家・阿刀田高(90)が初めて明かす介護 「妻を施設に入れたのは、結果的に大成功」
やれることはやり切った
しかし、3カ月が過ぎてからは妻の様子も落ち着いたということで定期的な面会が認められ、私と会う時間を妻はとても楽しそうに過ごしていました。施設入所前は「離婚してやる」と罵倒していたのに不思議なものです。
そうやって施設で2年4カ月過ごした妻の最後の言葉が、「おじいちゃん、大好き」だった。大成功と言ったら妻に怒られますかね? とにかく、やれることはやり切った。これがウソ偽りのない実感です。なお、妻の最後の言葉はメモに書き残して保管しています。
こうした経過をたどり、2年ほど前から私は独居生活をすることになったわけですが、これを知った出版社の編集者から、高齢男性が一人で暮らすコツを克明に記録すべしとのお達しがあり、この度、『90歳、男のひとり暮らし』の出版と相成った次第です。
決して健康的な人生を送ってきたわけではない
そもそも、こんなに長生きできるとは思ってもみず、気が付いたら90歳になっていた、というのが率直なところです。20歳の頃に肺結核を患って1年半の療養生活を強いられ、胆石にもやられて、決して健康的な人生を送ってきたわけではありません。だからこそというべきなのか、古希を迎えた辺りから、少しは健康を意識した生活をしないとまずいのではないかと考え、人並みに気を付けるようにはなりました。
まず、食事は自炊が基本です。30歳で結婚するまで、20代の7年間は一人暮らしでしたから、料理に覚えがないわけではないので苦にはなりません。
栄養にも気を配っていて、大事なのは「孫にはやさしく」。すなわち、まめ、ごま、にく、わ(は)かめ、やさい、さかな、しいたけ、くだものを食すことが私の「栄養哲学」です。
と、大仰なことを語ってみましたが、要は「体に良さそうなものは何でも食べる」ということ。栄養哲学なんて呼べる代物ではない。単に生来の駄じゃれ好きな性格ゆえに語呂合わせに飛びついただけ。「なんだ、期待外れ」という方は何卒ご容赦を。でも、老いても駄じゃれやユーモアを忘れない精神は重要だと思いますよ。
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