「認知症の妻の最後の言葉は“大好き”でした」 作家・阿刀田高(90)が初めて明かす介護 「妻を施設に入れたのは、結果的に大成功」
朝食にブロッコリーを選ぶ理由
食事に関して少しだけ具体的なメニューを紹介しておくと、朝食には必ずブロッコリーと卵をゆで、あとは牛乳、トマト、バナナ、チーズに、バター・トースト1枚か餅1個を磯辺巻きでいただく。
「ブロッコリーに含まれるスルフォラファンという成分は、がん予防にものすごい効果を発揮するんです。よく考えられた最強の朝食メニューですね」
なんて褒めてくれる方もいますが、なんのことはない、切ってゆでればいいだけなので調理が簡単。ブロッコリーを選んでいる理由はこれに尽きます。
夕食では、肉も魚も自分で焼きますし、豚汁、おでん、親子丼、茶わん蒸しくらいは自炊レパートリーに入っています。元来、何日かコロッケが続いても平気というくらいの非・食通ですから、高級店でおいしいものを食べたいとは思わないので、この点でも自炊生活は苦になりません。
「死んだら妻の骨と混ぜて家の壁にでも塗っておいて」
食材は週に1~2回、近所のスーパーに歩いて買いに行っています。妻の話ではなく、私自身が5年前に自転車に乗り損ねて第2腰骨を圧迫骨折しつえ生活を強いられているので、いまはこれくらいの頻度が限界です。
リュックサックを背負い、途中で電信柱に手をあてて休みながら、500メートルほど離れたスーパーに行く。すると、店員さんからは「買い物、頑張っていますね」と褒められるし、つえを突いていると何かと手を差し伸べてくださる方が現れる。この国も捨てたものではないと感じさせてくれ、その上、ウォーキングにもなる買い物は一石二鳥です。
買い物で歩く以外では、毎朝、起きると軽くラジオ体操をやっています。妻が施設にいた頃は、彼女よりは長生きしなければならないと、体力を落とさないように何とか頑張っていましたが、さすがにこの頃は徐々に体が動かなくなってきています。だからといって、衰えゆく自分に寂しさを覚えることはありません。もう年だから仕方がない。気にしたってどうにもなるものではない。そう割り切っています。90歳になり体力は落ちても、達観する力はまだまだ成長盛りのようです。
もともと「死は無である」というのが私の死生観ですから、健康にも、また死後のことにも執着するというところがない。当然、お墓なんて不要。お金の無駄ですし、骨は好きなように処理してもらって結構。そんな考えなので、妻の骨壺もまだ自宅に置いたままです。
「いっそ、私が死んだら妻の骨と混ぜて家の壁にでも塗っておいてもらえないかな?」
そんな話を別々に暮らしている息子たちに伝えたら、さすがにそれは気味が悪いと断られてしまいましたけれどね。
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