このメガネは「見えなすぎる」、それとも「見えなさすぎる」? 「ら抜き言葉」より悩ましい「さ入れ言葉」という難題

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 こんにちは。新潮社校閲部の甲谷です。

 まずはいつも通りクイズから。

 久々に「文化庁 国語に関する世論調査」からの出題です。令和5年度の同調査では、「悲喜こもごも」という言葉の意味についての調査が行われています。では、同調査内で「悲喜こもごも」の「辞書等での本来の意味」として紹介されている意味は、次のうちどちらでしょうか?

 1.悲しみと喜びを次々に味わうこと
 2.悲しむ人と喜ぶ人が様々にいること

「さ入れ」説明できますか?

 さて、今日は「さ入れ」表現の話です。

「ら抜き」「さ入れ」はダメ、と国語の授業で習った方も多いでしょう。日常生活でも特に「ら抜き言葉はNG」と言われ、校閲者としても文章中の「見れない」「食べれない」といった表現は基本的に「見られない」「食べられない」とする向きで校閲疑問を入れます(もちろん、小説内の会話文などでは例外もあります)。小論文や大学のレポート、企業のプレゼンテーションなどでも「ら抜き」があると、それだけで減点やマイナス評価の対象になりますよね。

 しかし、「さ入れ」の問題というのは「ら抜き」よりも文法上、やや分かりにくいのと、読みやすさの観点で日常的に使われているケースも少なからず存在するため、実は非常にややこしい話なのです。

 今日はこの問題を、校閲者としての視点もまじえながら改めて考えていきます。

 ここでミニクイズ。下の4つの文章の中で、文法上正しいとされるものは2つですが、どれだかお分かりになるでしょうか?

1.今日はもう流れ星は見られなそうだ。
2.今日はもう流れ星は見られなさそうだ。
3.彼が選挙で落選することはなそうだ。
4.彼が選挙で落選することはなさそうだ。

混乱しやすい要素が満載

 ……お分かりになりましたか。

 文法上正しいとされるのは、1番と4番です。1番は「なそうだ」、4番は「なさそうだ」なのに正しい、でも2番と3番の「なさそうだ」「なそうだ」は誤りとされる、というわけです。

「三省堂国語辞典 第8版」の「そうだ」の項に説明があります。

 形容詞「ない」「よい」に続くときは語幹に「さ」をつける。「変化はなさそうだ」。ただし、助動詞「ない」や、ズヌ活用、セズセヌ活用の形容詞に続くときにはその必要はない。「だれも知らなそう」「くだらなそう」

 ここにある“ズヌ活用”“セズセヌ活用”というのは、終止形と連体形がそれぞれ「ず(せず)」・「ぬ(せぬ)」にも変化できる形容詞のことで、「三省堂」では「たまらない」「快しとしない」が例として挙げられています。基本的には終止形の語尾が「ない」となっている形容詞、と考えればよいのですが、「少ない」などの例外もあるので、辞書ではこのような(大きな声では言えませんがややこしい)書き方になっているのです。

 混乱しやすいポイントは、形容詞としての「ない」(無い)のあとは「さ」が必要で、「見られない」など、助動詞の「ない」がつくもののあとは語尾が同じ「ない」でも「さ」は不要、というところなのです。「少なさそう」と「少なそう」では「少なそう」が正統ですが「無さそう」と「無そう」では「無さそう」が正統……。

 これは「人望がなさすぎる」「あなたは常識を知らなすぎる」といった、「すぎる」が後に付く場合でも同様です。

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