「莫逆の友」は、〈バクギャク〉なのか〈バクゲキ〉なのか――有名評論家が教える「ワンランク上の読み方」

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 たとえば、仲の良い友だちのなかでも、とりわけ親密な友人のことを意味する「莫逆の友」。「バクギャク」と「バクゲキ」の2通りの読み方があるようだが、もともとはどちらが“正しい読み方”だったのだろうか。
 
 人気評論家の宮崎哲弥さんの著書『教養としての上級語彙』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けする。

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社会的関係性と言葉遣い

 言葉の起源はコミュニケーションにある、というのは、もっともらしい仮説だが、近年の、とくにチョムスキー派、生成文法派の言語学者はこの説に否定的だ。
 
 彼らによれば、言語能力は生まれつき脳に組み込まれたものである。つまり言語の基本設計は個人の脳内に生得のものとしてあって、遺伝子によって規定されている。それが外に発されて、コミュニケーションという社会的行為に転用、拡張され、複雑化を遂げていったという。

 言語学者ではないが、人類史家のユヴァル・ノア・ハラリも「言語生得説」を採る。彼は主著『サピエンス全史』で、7万年前に起こった「認知革命」こそが、現生人類が言語を駆使するようになった起源だ、と説いた。たまたま遺伝子に突然変異が起こり、脳内の配線が変わったことによりサピエンスは高度な言語能力を獲得した。まったく新しい種類の言葉を駆使する能力を備えたことで、人類は認知能力を飛躍的に向上させたのだ。

 このように現代では、言語の獲得や進化にコミュニケーションが決定的な役割を果たしたという説はかなり旗色が悪い。

 とはいえ、例えば敬語という言語現象一つ取っても、人間関係の態様によって言葉の形態が影響を受けることは否定できない。もっといえば、言葉はさまざまなコミュニケーションのかたちを表現するだけでなく、人間関係の組織に関与し、左右し、規定している。

「地(ち)を易(か)うれば皆(みな)然(しか)り」という格言がある。

●地を易うれば皆然り……人はそれぞれ地位、境遇を異にするから、行いや考えも異なるのであるが、その立場を取り替えてみれば、皆各々の立場にふさわしい言行となる。

 もともとは『孟子』にみえる一節だ。王には王の立場(「地」)があり、臣には臣の立場(「地」)があるが、これは実体的なものではなく、まして絶対的なものでもなく、その関係性(地位の違い)がもたらす属性に過ぎないことを示す。
 
 だから、もし浮浪者の立場にあるものが、ある日突然大会社の社長の座に就けば(「地を易うれば」)、慣れるのに相応の時間は掛かるものの、やがて社長らしい風格を帯びるし、いかにも経営者の振舞をするようになる。逆もまた同じという意味。で、「皆然り」だというわけだ。マーク・トウェインの童話『王子と乞食』やそれを下敷きにしたハリウッド映画『大逆転』(1983年 ジョン・ランディス監督)などでも取り上げられたテーマである。

 その王とか臣下とか、社長とか平社員とかいった関係性に基づく身分は、煎じ詰めれば言葉に過ぎない。だからこそ地位や立場には本質がないのだし、それらは関係的なものに過ぎないのだ。

 社会的関係性はその多くが言語によって支えられているという要点を押さえて、具体的に使われる上級語彙を局面ごとにみていこう。

命をも惜しまぬ友情

 まずは、固い友情によって結ばれた交らいの表現をみてみよう。
 
●刎頸(ふんけい)の交(まじ)わり……この人のためならば、たとえ首を刎(は)ねられてもいいと思える交友。生死をともにできるほどの深交。刎頸の友。刎頸の仲。

 このように死をともにしようと誓い合った友を〈死友〉と呼ぶ。

●しゆう【死友】……死をともにしようと誓い合うほどの親友。死を約した友。終生、友誼で結ばれた〈知己〉。

「知己」は「チキ」と読む。「チコ」と誤読しないこと。かつてはそう発音したこともあったようだが、いまはそのようには読まれない。

●ちき【知己】……自分の考えや気持ちをよく知っている人。自分のことをわかってくれる者。親友。単なる知人を指す場合もある。「彼は唯一無二の知己だ」「世で名声を得るのはさほど難しくはないが、一人の知己を得るのは大変難しい」

 司馬遷の歴史書『史記』「刺客列伝」に「士は己を知る者の為に死す」の文言がみえる。「ひとかどの男子は、自分の価値を認めてくれる者のためなら命をも投げ出す」くらいの意味。

 さて、次の青空文庫のスティーヴンスン『ジーキル博士とハイド氏の怪事件』(佐々木直次郎訳)の訳注をみてほしい。

《一九頁 デーモンとピシアス 二人とも古代ギリシアの人で、その友情の厚いので有名であったので、「デーモンとピシアス」という語は、漢語における管鮑の交、刎頸の友、莫逆の友即(すなわち)親友を意味すること、「ジーキルとハイド」が二重性格を意味するようなものである》

 この訳者が付した注釈には、「刎頸の友」とともに、厚い交友を意味する成語が二つ挙げられている。〈管鮑(かんぽう)の交(まじ)わり〉〈莫逆(ばくげき)の友〉だ。
 
●管鮑の交わり……春秋時代の斉の臣、管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)の終生にわたる交友にちなむ、深い相互理解に基づく、利害を超えた厚い親交。

●莫逆の友……非常に親密な友。気持ちが相通じ、争うことのない友人。

「バクギャクのとも」とも読むが、「バクゲキ」が正しい。「莫逆」とは「(互いの)心に逆らうこと莫(な)し」の意であり、心から打ち解け合える間柄を指す。

※宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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