「貯金を切り崩す」は誤った表現か? 国語辞典が“誤用”を“新しい表現”として認めるまでの変化を楽しむ
校閲疑問に疑問を持つ
一昔前の辞書だけを参照して表現に指摘を入れる、というのは校閲者の姿勢として好ましくありません。しかし、「結果的にそうなってしまっている」、もしくは「古くからの慣習で半ば無意識に校閲疑問を入れてしまっている」というケースもゼロではないでしょう。
生ものである「言葉」を扱う校閲者としては、守るべきものは守りつつ、古くからの慣習にも懐疑的でなくてはなりません。校閲者自身が常に、校閲疑問に疑問を持たなければならないわけです。
しかし、「一部の辞書でしか採用されていない、新しい表現を即座にOKとしていいのか」という考え方も、即座に否定できるものではありません。そのため、校閲者によって校閲疑問の出し方が多少、変わってしまうことがあるのは仕方ない側面もあるものと私は考えています。ですが一方で、“出さなくても良い疑問”“余計すぎる疑問”を出していないかどうか、絶えず研究・検討する精神も忘れてはなりません。
辞書は、言語世界のすべてを網羅するものではありません。そこからこぼれ落ちてしまったものの、一般的には広く使われている表現というのが必ず存在しますし、時代とともに表現は大きく変化していきます。「貯金を切り崩す」という表現は、そんな時代の流れのうねりを受けながらも多くの人に使われ続け、100年経ってようやく辞書にも載るようになった、本当は切り崩されていないシブトい奴なのです。



