「貯金を切り崩す」は誤った表現か? 国語辞典が“誤用”を“新しい表現”として認めるまでの変化を楽しむ

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手元の辞書を片っ端から

 まず、「岩波国語辞典」。太田さんのコラムにも登場する辞典ですが、コラムでは当時の最新版であった第7版(2009年。以下も第1刷の発行年)を参照して、「貯金を切り崩す」が載っていないことに触れていました。私の手元にある「第8版」(2019年)ではどうなっているか……引いてみると、第8版でも「貯金を切り崩す」の用例は掲載されていませんでした。

 一方、現時点で「貯金を切り崩す」を許容している辞書は多数、存在します。

 まず、この連載でもおなじみ「サンコクさん」、「三省堂国語辞典 第8版」(2022年)では、「切り崩す」の項に“⇒取り崩す(1)。「貯金を切り崩す」”とあり、「貯金を切り崩す」は「貯金を取り崩す」と同様に使えることを示しています。

 なお、同辞典のひとつ前、「第7版」(2014年)の「切り崩す」の項には、

〈〔あやまって〕⇒とりくずす(2)。「貯金を切り崩す」〉

 と、あやまって使われるようになった表現として紹介されています。第8版ではこの記述はなくなっているので、改訂の際に編集委員が「『貯金を切り崩す』も一般に使われているので、“あやまって”は削除しよう」と判断したのでしょう。こうした発見も、辞書を引く楽しみの一つです。

 つづいて、同じ版元の「三省堂 現代新国語辞典 第7版」(高校教科書密着型辞典、2024年)にも、「切り崩す」の項に、〈〔出費を切りつめて ためていたお金を〕取り崩す〉とありました。

 また、当連載では新語・新表現に対してやや厳しめという印象であった「明鏡国語辞典 第3版」(2021年)でも、「切り崩す」の項に、赤字で〔新〕の表記を添えたうえで、

〈預金や貯金から、少しずつ使う。「貯金を切り崩して生活する」⇒「取り崩す」との混同から。〉

 とあり、混同による“新しい表現”として、市民権を与えています。

 毛色の異なる「サンコク(三国)」と「明鏡」の両方で「貯金を切り崩す」が認められていることは特筆に値します。

「取り崩す派」のほうが少数

 ここまで見てきたように、私の手元にあるものだけでも3つの辞書で「貯金を切り崩す」という表現を認めていました。よって、太田さんがコラムを書かれた2010年時点とは状況が変わってきており、「貯金を(預金を)切り崩す」の「切り崩す」を「取り崩す」に変える校閲疑問は出さなくてよさそうです(媒体独自のルールがある場合などは別)。

 なお、2022年のNHK放送文化研究所の調査によれば、20代~50代ではむしろ、「貯金を取り崩す」という表現のほうがおかしい、と感じる人が半数以上となっており、60代、70代でも「切り崩す派」が優勢。「取り崩す派」が多かったのは80代以上だけという結果だったとのことです(『「貯金を取り崩す」?「貯金を切り崩す」?』 NHK放送文化研究所サイトより)。

 今ではむしろ「貯金を取り崩す」のほうが、大多数の人にとって耳になじみのない表現になっているのかもしれません。同サイトでは、「貯金を切り崩す」という表現も大正時代から使われていることを例証したうえで、辞書に採録される際になんらかの理由で「取り崩す」のほうだけが残ったのではないか、と分析しています。

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