白いスポーツカーに乗った“画家”が「モデルになってくれませんか」…女性8人を乱暴して殺害「昭和46年のシリアルキラー」大久保清の素顔

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のらりくらり

 昭和46年5月9日、藤岡市内のA子さん(21)が行方不明になった事件で、13日の夜に藤岡警察署に連行された大久保清は当初、A子さんを暴行するために車に誘って一緒にドライブしたことまでは認めたが、

〈その後連れ込み旅館に入ろうとしたところで逃げられたと供述し、(A子さんの)処置については頑として自供しなかった。そこで、(A子さんの)所在不明時の状況、誘拐現場における近接時の目撃状況等を疎明資料として、翌5月14日午前2時15分、通常逮捕した〉(警察庁の教養資料より)

 連載第1回で紹介した、昭和42年の婦女暴行事件で大久保を取り調べた刑事が、興味深いエピソードを明かしている。

〈大久保清の取り調べに当った高崎署の巡査部長は、当時、すでに一種の“予感”を持っていたという。
「婦女暴行の前科二犯でしたからね。それに、立件したのは一件だけだったが、被害者はほかにも数人いたんです。そこで、検察庁に身柄といっしょに書類を送るとき、“再犯の恐れあり。なるべく重い刑にすべきだ”と意見書を付けたんですよ。(略)ヒゲは毎朝そり、髪にポマードをつけ、ベレー帽にオープンシャツ、ピカピカのクツといったいでたち」(『週刊新潮』昭和46年6月12日号)

 また、別の事件で大久保を取り調べたことのある刑事は、こう語っている。

〈「法律の本も読んで勉強していたようだし、英語やフランス語の自習書を買い、ことば使いの中に、外国語の単語や妙なアクセントをまじえた。中学、高校の英語教師、短大の外国語講師などに化けるのがうまかった(略)」〉(『朝日新聞』昭和46年5月22日付夕刊)

 府中刑務所を出所した大久保は、別居中の妻から離婚を迫られていた。しかも、その裏工作に兄がかかわっていると思って自暴自棄になり、ガールハントにいそしむようになる。ロシアの民族衣装の一種であるルパシカの上衣を着てベレー帽を被り、いかにも芸術家といった雰囲気で白いスポーツカーから女性に声をかける。

「私は画家(あるいは美術教師)だが、モデルになって欲しい」

「先輩と二人でアトリエをやっているが、前にもあなたを見かけた。一目見て僕のイメージにぴったりだと思ったのですが、それ以上にあなたのことが好きになってしまったのです」

 車の後部座席にはカンバスと絵具という、小道具を置くことも忘れていない。取り調べで大久保は、「女は10人に声をかければ6人はひっかかる」と嘯いた。

 逮捕歴があるということは、怒鳴ったり怒ったりする取調官のほかに、必ず優しい取調官がいて、供述を取りにかかるなど、警察の「手の内」を知っている。実際、大久保は調べに対して、のらりくらりと供述した。A子さんを暴行目的で車に連れ込んだと話したと思えば、

「これまで言ったことは嘘です。実は人に頼まれて、若い娘を誘拐して売り飛ばしました。刑務所で知り合った人間の紹介で、神戸の暴力団員です」

「A子さんを殺して利根川の河川敷に埋めた」

 捜査員が裏付けに飛び回り、どうも違うのではないかという心証を得ると、とたんに供述を変える。利根川の件では現場に案内するというので、同行させたが、供述内容と現場の状況が一致せず、もちろん遺体も出てこない。

 大久保本人は、自分のやったことをわかっている。すべてが判明すれば間違いなく死刑だ。そうならないためには、何とか嘘を重ねるしかない――そういう考えもあったと思われるがもう一つ、大久保が心に秘めた思いがあった。第1回で紹介した、大久保が最初に婦女暴行で逮捕された事件(執行猶予付き有罪判決)である。

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