白いスポーツカーに乗った“画家”が「モデルになってくれませんか」…女性8人を乱暴して殺害「昭和46年のシリアルキラー」大久保清の素顔

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 大久保清は昭和46年3月2日に府中刑務所を出所、同5日に「商売に使う車だから」と父親に金を出してもらい、マツダのロータリー・クーペを新車で購入(約64万円)した。5月14日に逮捕されるまで、1日平均170キロを走破し、朝から女性に声をかけた。その数約150人(捜査本部で詳細に裏付けが取れたのは127人)。誘いに応じた30名の女性のうち、合意のあるなしにかかわらず、十数名の女性を暴行。その中で、激しく抵抗した、あるいは警察へ届け出る可能性があると判断した8人を殺害、遺体を遺棄した。

 群馬県警が作成した事件報告書の序文で、吉田六郎本部長(当時)は、こう述べている。

〈事件は誘拐容疑としての被疑者を逮捕したことから、本格的な捜査が始まり、被害者と思われる女性を発見するための家出人公開手配から、被疑者・被害者双方の足取りを中心とした強力な捜査活動を展開したが、自動車を利用した被疑者のガールハントの足取りが容易につかめないことから、捜査の重点はいきおい被疑者の自供にすべてゆだねるほかなく、その自供に基づいて被害者の遺体を発見し、裏付けをとるという、いわゆる死体なき殺人事件であった〉(『連続殺人鬼 大久保清の犯罪』筑波昭著)

 吉田本部長はこの8年後、このシリーズ第1回で紹介した「三菱銀行人質立てこもり事件」で、大阪府警本部長として捜査を指揮。犯人・梅川昭美の射殺を決断している。

「日本犯罪史上、まれにみる凶悪事件」として知られる大久保清事件。巧妙な手口や犯行態様など、後に広く知られることになった事件の詳細を導き出したのは取調室で繰り広げられた大久保と取調官の攻防だった――。             (全2回の第2回)

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