母親からは「ボクちゃん」と呼ばれて溺愛…わずか2カ月で“女性8人を殺害”した「大久保清」の異常な欲望

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大久保の身柄確保

 時計の針をA子さん失踪時に戻す――。

 藤岡警察署にA子さんが行方不明になったと通報のあった昭和46年5月10日、署員は直ちに大久保の自宅に向かったが、同日午前9時ごろに車で自宅を出てからの所在がつかめない。大久保は妻と別居中だったので、渋川市内にある妻が身を寄せている家にも捜査員を派遣したが、行方は分からなかった。大久保の“犯歴”を念頭に、A子さんの所在確認捜査にも人員が割かれた。

〈同僚、知友人等について聞き込みを行うとともに、藤岡市周辺の空き家、神社、仏閣、モーテル、旅館等について捜索を実施し被害者の発見に努めたが、足取りはまったくつかめなかった〉(前出・警察庁資料)

 前掲書による群馬県警の報告書では、10日藤岡市内の金融機関の自転車置き場で会社社長に目撃された大久保は、30分後の午前10時すぎには前橋市内に姿を現し、19歳と20歳の女性に声をかけ、午後2時には高崎市へ。そこで一度、自宅へ電話をかけて父親と会話している。その後、21歳の女性に声をかけて榛名町に移動。17~19歳の3人に声をかけ、安中市に移動して16歳と23歳の女性に声をかける。午後6時に前橋市で23歳女性を誘ったのち、かねてデートの約束をしていた21歳女性と妙義山へドライブした。午後11時ごろ、私設捜索隊の車に発見され、停止を求められたが振り切る。大久保は刑事だと思い、自宅へは戻らず、榛名山中で車中泊した。

 翌11日も昼前からガールハントに繰り出し、16歳から22歳の5人に声をかけている。午後は約束していた女性と落ち合い、モーテルへ行き、この日も榛名山中で車中泊。12日は午前7時ころから桐生市でガールハントを繰り返し、午後に知り合った女性(18歳)と車中で関係し、彼女を送っていく途中の午後5時40分ごろ、太田市内で中学生をはねて10日間のけがを負わせている。太田警察署員の事情聴取を受けるが、大久保の手配は全県まで行き届いていなかったのか、事故の調べだけで解放される。大久保はもちろん、後に分かった警察にとっても、信じられない出来事だった。

〈5月13日午後6時30分ごろ、民間捜索隊の者から「前橋市内で大久保清を発見し、追跡中である」旨の110番通報があり、直ちに緊急配備を実施し前橋市内で発見捕捉した〉(前出・警察庁資料)

 これが「昭和最大の凶悪事件」の幕開けであることは、まだ誰にも分からなかった。

【第2回は「白いスポーツカーに乗った“画家”が『モデルになってくれませんか』…女性8人を乱暴して殺害『昭和46年のシリアルキラー』大久保清の素顔」執念の捜査で明るみに出た凶悪事件の全貌】

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