母親からは「ボクちゃん」と呼ばれて溺愛…わずか2カ月で“女性8人を殺害”した「大久保清」の異常な欲望
昭和に起こった重大事件を取り上げる中で、落とすわけにはいかない重要事件がある。昭和46年5月14日、群馬県警察に検挙された大久保清(当時36)は、8人の女性を誘拐・乱暴の上、殺害。その遺体を遺棄した。これだけでも重大凶悪な大事件であるが、警察側にも困難な捜査が要求された。
〈この事件は、従来の殺人事件のように殺人現場からスタートするのではなく、女性誘拐の被疑者が警察に身柄拘束され、その自供によって殺人事件が判明し、被疑者の供述する場所から死体を捜し出して被害者を確認するという変則的な捜査に終始した特異事件であった〉(警察庁の教養資料より)
大久保は逮捕後、自供を拒み、時には虚偽を申告し、「完全犯罪」を自負するような言動も見せていた。その頑なな態度の裏には何があったのか。そして、稀代の殺人鬼を完全自供に追い込んだ取調官の執念とは何だったのか――。 (全2回の第1回)
【写真を見る】大久保と最後まで対峙した群馬県警の名刑事…日本を震撼させた衝撃事件の全貌
当初は家出人と思われたが……
昭和46年5月10日午前1時30分――群馬県警藤岡署に一本の電話が入った。
「妹のA子が9日の午後6時ごろに出掛けたまま戻らない。市内で女の子が被害にあった事故はなかったでしょうか?」
当直員は、該当するような交通事故はないと伝えた。
「では、市内の飲食店街や神社などを探してもらえないでしょうか……」
同居している21歳の妹を心配した、会社社長の兄(36)からの申告だった。A子さんは社長の妻に、こう語っていたという。
「中学で美術の先生をしている人に『あなたは僕のイメージにぴったりの方です。ぜひ、僕のモデルになってくれませんか』と言われた。その打ち合わせのために出掛けてくる」(*実際に出掛けたのは午後5時半ごろだった)
同署では直ちに管内の派出所勤務員に手配を行うと共に、パトカーで警らを行い、青少年が集まりそうな場所を重点的に回ったが、A子さんの発見にはいたらなかった。
〈同日午前7時頃、藤岡署において家出人手配簿を受理した〉(前出・警察庁資料)
警察は「家出に過ぎないのでは」とみていたが、A子さんの家族は事件や事故に巻き込まれたのではないかと強く訴えた。警察の態度に不信を抱いた会社社長は、自らA子さんの行方を追う。
〈5月10日午前10時15分頃、(社長)から「妹が家を出るときに乗っていた自転車を発見し、見張りをしていたところ、不審な男が近づいてきたが、私の姿を見るなり反転して逃げて行ってしまった。男は群55?(注・ひらがな部分は泥がかかって読み取れなかった)285のクリーム色のマツダ車に乗っている」との通報が寄せられた〉(同)
実はA子さんの行方不明を知り、社長の会社の従業員はじめ、友人知人が参集し、36人が18台の車に分乗し「私設捜索隊」を結成、A子さんの行方を独自に追っていた。車にはトランシーンバーを積み込み、写真屋がA子さんの顔写真を焼き増し。全員がそれを手に、榛名湖畔や主要河川へ車を走らせた。
社長は10日午前6時半ごろ、市内の金融機関の自転車置き場にA子さんが使用している自転車を発見。自ら張り込みを始めた。その3時間後……。
〈軍手をした男が白い車で乗りつけ、自転車に触った。声をかけたところ、男は慌てて車で逃げた〉(『朝日新聞』昭和46年5月20日付)
この時、男が軍手で自転車についた指紋をふき取っているように社長には見えたという。
藤岡警察署が目撃されたナンバーを県警本部交通指導課に照会したところ、同じ番号の車は5台あり、うちマツダ車は1台のみ。クリーム色ではなく白のロータリー・クーペと推定された。一方、会社社長は独自にマツダの販売店に車を走らせ、ナンバーからロータリー・クーペと当たりをつける。そして購入者を問いただした。県警と社長、両者が把握した車の持ち主は――高崎在住の、大久保清だった。
大久保は婦女暴行致傷・恐喝等で前科4犯、犯歴6回で、このうち婦女暴行致傷で2回服役。この年の3月2日に府中刑務所を出所したばかりだった。藤岡警察署がただちに大久保の身辺捜査に取り掛かるころ、会社社長もマツダ販売店から割り出した大久保の自宅へ直行。本人は留守だったが、近所への聞き込みから、婦女暴行の前科があることを知る。
[1/3ページ]


