「レンタカーを借りる」「沖縄まで旅行に行ってきた」に違和感を覚える? 校閲担当者は“重複表現”にどう対応するか

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臨機応変に「技」を使う

 こうした重複表現について、校閲者はどう対応していくべきなのでしょうか。

 極論で言えば、上に挙げた重複表現はすべて「そのままでも、誰かが大きく困ることはない」ものです。例えば存命中の方を「亡くなった」と書いてしまったり、人名を間違えたり、といった重大なミスに比べると、言わば“どっちでもいい”話なのです。

 特に文芸作品の場合は重複表現の許容度が高く、語感やリズムを重視してあえて重複させている、という場合も多いことから、本来、校閲者がやみくもに足を踏み入れていい領域ではありません。

 しかし、新聞記事、週刊誌の記者原稿、カタログの説明文などでは「短い文章でわかりやすく」というベクトルが働きます。また、誤用であると多くの人が感じるであろう表現については、こだわりがなければわざわざ使わないほうがよい、という考え方も、媒体によっては一理あります。そのため、現場ではしばしば、こうした表現に“念のため”の校閲疑問を出すこともあるのです。

 このように、重複表現について校閲疑問を出すかどうか、というのは「媒体やジャンルによって扱いが異なる」事例の最たるものであり、校閲者としてはその場その場で臨機応変に対応していかなければならないものなのです。

 また、「校閲疑問としては出さないけど、とりあえず線だけ引いておく」とか、「一度書いた校閲疑問を、少しだけ見えるようにして消す」など、校閲者や所属する組織によってさまざまな“技”があったりもします。著者へのニュアンスの伝え方に正解はありませんし、手書き可能なゲラでしか表現できないことではありますが……。

説明できるかどうか

 重複表現に関して一つ言えるのは、校閲者として、どんな表現が重複表現とされるのかを「知っておく」ことは非常に重要であるこということです(過去の自分への戒めでもありますが)。知識をもとに、やはり媒体ごとに疑問の出し方を校閲者自身が“調整”する必要があると私は考えています。

 知識がなくても、「疑問に思う力」、複数の辞書をこまめに引く癖をつけることも大事です。

 そして、迷った末に疑問を出さなかったとき、「なぜ出さなかったのか」をきちんと説明できること。逆に、疑問を出した場合、その理由を説明できること。この「説明できるかどうか」は現場で非常に重要になってきます。また、「自分が書き手だとしたら絶対に使わない表現なのか?」という視点も大事だと私は考えています。

 校閲の仕事というのは、白黒はっきりつけるだけの仕事ではありません。黒と白の間にある広大なグレーの部分をどう扱うか。よく、「校閲疑問には人間性が出る」「校閲者は自らの全人格をゲラに注ぎ込むべし」などと業界内で言われますが、ただ文章を読んでいるだけのように見えて実際にはそんなに単純なものではない。この点は、「重複表現です!」と何度指摘されようともしっかり強調しておきたいところです。

甲谷允人(こうや・まさと Masato Kouya)
1987年、北海道増毛町生まれ。札幌北高校、東京大学文学部倫理学科卒業。朝日新聞東京本社販売局を経て、2011年新潮社入社。校閲部員として月刊誌や単行本、新潮新書等を担当。新潮社「本の学校」オンライン講座講師も務める。

デイリー新潮編集部

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